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玉座の間の奥の通路からいける場所は、3箇所。

一つは王族が生活する奥宮。

二つ目は、オーブの信仰の象徴である祈りの塔。長い螺旋階段を上った塔の最上階には、長くオーブを見守ってきたハウメア神像が安置されている。

三つ目は外へと逃れる為の隠し通路。・・・これは選択肢には入らない。

キラは迷うことなく祈りの塔へ足を向けた。

神の加護を願うという意味は全く無い。キラが考えた理由はどこまでも現実的だった。

王族が暮らす広い部屋が連なる奥宮では簡単に取り囲まれてしまう。キラが如何に優れた戦士であっても、数十の兵に一度に切りかかられれば勝負は一瞬で終わるだろう。

その点、二人並んで歩くのが精一杯の塔の螺旋階段ならば、一対一で戦うことが出来る。

最上階にまで追い詰められれば逃げ場はないが、逃げ延びることが目的ではない。

息を弾ませて知り尽くした道の最短距離を走れば、塔の入り口はすぐそこに。

優美な曲線を描く塔の入り口は、ぽっかりと口を開きキラを出迎えた。なにものも拒まないハウメア神の性質上、神殿たる塔に扉は付けられていない。

キラは一歩塔の中に踏み入り、足を止めた。

大きく息を吸い、呼吸を整える。

塔内部は微かな光で満たされていた。暗闇の中で発光する蛍光塗料で壁に神の予言が一面に書かれている為だ。

この幻想的な光景がキラとカガリは大好きで、子供の頃は夜中にこっそりと塔に忍び込んでは乳母見つかり、こっぴどく叱られてたこともあった。

懐かしく幸せな思い出に、強張った頬が微かに緩む。

しかし、手には硬く冷たい柄の感触。

キラはきつく剣を握り瞑目し、最上階に居ます神に祈る。

「―――役目を終えるまで命尽きぬよう、どうか力を。」

その時、自分のものではない軍靴の音がキラへと一つの知らせを持って迫り来た。

「・・・いたぞ!!王子だ!!」

ハッと顔を上げ目を向ければ、どす黒い軍服のプラントの兵士が指を突きつけていた。。

キラは唇をかむ。

「父上は苦しまず逝かれたかな・・・・・・。」

広い玉座の間に一人。

ウズミは剣士として弱くはなかったが、武ではなく知に長けた人だった。

血に酔ったプラント兵が騎士道精神を守るとは思えず、オーブ国王たる父王がどんな最後を遂げたのかと、キラは痛ましく繊細な眉を寄せる。

しかし、今は安穏と物思いに耽ることも出来ない。

「さあ、今度こそ最後だ。」

キラはスラリと剣を抜いた。オーブの技術の粋を集めた白銀の刀身。

対するのは、血に濡れ毀れた抜き身の剣。

キラが最後と定めた戦いの舞台は、建国以来初めての暴挙に赤く染まった。


そして―――、塔の白い床が初めて赤く染まってから数十分後。

「たった一人に何を手間取っている!!早くしとめるのだ!!」

プラントの将が塔の入り口で顔を真っ赤に染め激しく兵士を罵倒していた。が、精神論だけで技巧の差が埋まるはずもない。

王子の首は未だ届かず、代わりに塔に突入していったプラント兵の犠牲者が次々に塔から運び出されていく。

プラントはキラを仕留めることが出来ずに居た。

オーブの王子が剣に秀でていることは情報として得ていたが、王族の評判は誇張されて伝えられるものと高をくくっていたプラント兵たちは、手痛い洗礼を受けていた。

ただでさえ超一流の剣士としての力を持つ王子にとって、これは文字通り命を捨てても簡単に負けられぬ戦いだ。

理性の箍などとっくに外れている。

全身を返り血に染め、揮われる剣はどこまでも冷徹に敵の急所を抉る。深くは無いとはいえ、かなりの数剣が掠って肌をを裂いているのに、痛みを感じている様子も無い。

普段の穏やかな王子しか知らぬものが見れば別人と思うだろうその姿はまさに鬼神そのもの。プラント兵には死神と映った。

既に常世を見ているかの様な紫の目に、圧倒的優位にあるはずのプラント兵は戦慄した。


「・・・どうした。」


剣戟と怒声、鎧同士が激しくぶつかり合う喧騒に満ちていたその場に、静かな、しかし誰の耳にも通る声が響いた。

命令する事に慣れた、人を威圧する声色。

その声は明らかに焦りと怒りを一瞬で凍りつかせた。

「・・・どうしたと聞いている。」

「・・・へ・・・陛下!!」

将は息を呑んだ。

それは、まだ混乱が続いているため中にまでは来るはずのない、主君。

プラント王国の王、アスラン・ザラだった。

返り血を浴びようと濁ることのない緋色のマントを跳ね上げ、一見簡素な黒い装束に身を包んだ男。やや長い、頬白いにかかる髪もまた濡れたように黒く、それらが城下の炎に照らされ全てが恐ろしく紅い。

赤い闇が凝ったかのようだった。

驚愕する将の声を煩そうに顔を顰めた男は、スッと目を細める。

全てが紅く染められた男の中で、瞳だけが鮮やかな翠にギラリと光った。

「ひっ・・・・そ、それが、王子がまだこの塔に・・・・」

その顔に不興を被ったことを感じ、将は慌てて状況を報告した。

「まだ仕留められないのか。」

「は、はっ・・・!」

これ以上王の機嫌を損ねられぬと、自ら突入するしかないと将が覚悟を決めた、その時だった。

「・・・それは凄い。」

嫌味でも怒りでもない、楽しげな王の声が将の耳に届いた。

「は・・・?」

王は興味深げに運ばれてゆくプラント兵士の傷を眺める。

「居るのは王子だけか?他にも何人か立てこもっているのか?」

「いいえ、王子一人です。」

「一人。」

ますます興が乗った様子で王は笑う。

「申し訳御座いませぬ!こうなれば私自ら・・・・!」

「それには及ばぬ。」

王は、覚悟を示したかのように柄を握った将を一瞥し、直ぐに興味を失って塔へと踏み出した。床は血溜まりにぬめっている。

「あ、あの、陛下?」

「俺が行く。」

「な、何ですと!?」

「・・・・・・・・久々に楽しめそうだ。」

そう呟き王が浮かべた笑いは、肉を食らうものの獰猛な笑みだった。