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朝、と言うには少し遅い時間。

規律正しい生活を旨とする王にしては珍しく、王はまだ寝間着のまま居室でゆっくりとしていた。

昨夜キラと向かい合った長椅子に座りくつろいでいるが、一人ではない。今その正面にはニコルが座っていた。

ニコルは気だるげなアスランの様子に幼馴染の気安さから呆れた顔を見せながらも、懐から本国からの書状を差し出した。

ニコルは軍の精鋭ザフトを統括するだけでなく、王の相談役的役割も請け負っている。尤も、相談役というのは正式な役職では無く、話し相手と言った色が強いが。

それでも、王よりも若輩であるニコルがその任を請け負っているのは尋常なことではない。

裏を返せば、それだけ王が真に信頼を置ける臣が多く無い事を示していた。

「・・・で、本国の狸たちはなんと言ってきた?」

言って、アスランは眠気を覚ますためレモン水を口に含む。

その表情はいかにも投げやりで、ニコルの返答を聞くまえから書かれた内容を予期しているようだった。

ニコルは慣れた手つきで書状の封印を解くと、くるりと丸められたそれを開きざっと目を通す。

「えーと、じゃあ読みますね。『この度は偉大なる陛下の御威光により』」

「要約しろ。」

「はいはい。」

書状には、変わりない本国の様子、時間的にオーブ攻略の報は伝わっていないらしく、オーブ攻略の勝利への祈り、そして・・・おそらくこれが本題だろう、やんわりと遠征の終了、本国への帰還を願う文面が書き綴られていた。

ニコルはクスリと笑い、羊皮紙に流暢な文字で長々と書き綴られたそれを一言で片付けた。

「そうですね。・・・『そろそろ都に帰って自分達の娘と見合いをしてくれ。』ってところでしょうか?」

「またか。」

アスランはうんざりした様子で足を組み替えた。

「今は結婚する気などないと何度言っても、あいつらは記憶するつもりは無いらしいな。」

「貴方がそう言うから流石に結婚までは期待してないでしょう。面と向かって言えるような根性がある人は殆ど居ませんし。精々お手つきを期待してる程度じゃ無いですか。」

「同じ事だろ。」

「まあ、そうですけど。・・・あの人たちの言い分もわからなくはないですけどね。」

ニコルは肩を竦めなて書状を差し出した。

アスランは臭いものを持つように書簡を摘み上げると、ざっと目を通して更に不機嫌そうに唸る。

「まさかお前まで俺に『結婚しろ』なんて言うんじゃないだろうな。」

「言いませんよ。貴方が結婚したら、間違いなく次の標的は僕ですから。」

ニコルは自分の価値というものをしっかりと解っている。

有力貴族は、子供の頃から、あるいは生まれる前から婚約者が決まっている事も珍しくないが、その中にあってニコルは数少ない婚約者が決まっていない貴族の子弟だ。

王の信頼の厚い側近というだけで、年頃の娘をもつ親にとっては優良物件。加えて、ニコルは家柄も良く、才気に溢れ、情も篤い。おまけに、見目も悪くない。

今は国の頂点である王妃の座が空いているがゆえにニコルに向けられる目はそれほど熱心ではないが、その椅子が埋まったときの事を考えるだけでニコルは身震いをする。

最近は『側近であるお前が結婚したら陛下もその気になられるかもしれない』という空気が出来始めているという噂もあり、王と同じくまだ結婚するつもりのないニコルも安心はできないのだが。

「・・・涙が出るほど思いやりに満ちた台詞だな。」

「ええ。僕はいつでも陛下の御心に適うよう、誠心誠意、心を砕いておりますから。」

ニコルは、書状と一緒に放り出された嫌味をさらりと受け流してニコリと笑う。こんなやりとりも、幼馴染としての気安さがあってこそだ。

まったく悪びれる事の無い友人との掛け合いに、アスランは苦笑を通り越して笑うしかない。

「できた臣下を持って俺は幸せだよ。」

「そうですね。」

抜けぬけと肯定して、ニコルは机の上にぺらりと放り出された書状を元通り丁寧に丸めるとそのまま机の上に置く。

仮にも、国の重臣から国王に送られた書状をニコルが握りつぶす事はできない。

「・・・まあ、方々が心配するだけの問題であることは事実です。先送りにするのもそろそろ難しいですよ。」

「だろうな。」

「貴方にもしもの事があったら、今までの苦労は水の泡どころか、国・・・世界はもっと酷い状態に陥りますから。」

「わかっている。」

アスランは苦いながらも浮かべていた笑みを消した。

ニコルや他の臣下が心配しているのは王位継承の問題だ。

アスランの母であるレノアは側室であり、アスランのお産が重くそれから子供に恵まれなかった。正妃は子を産む前に病没し、アスランの父である前王パトリックはレノアを深く愛したが故に他に側室を持たなかった。

その結果、直系といえる王族は現在アスランただ一人しか残っていない。

臣に下った王家の血を引くものが血の濃さに準じて王位継承権を持っている状態で、もし今アスラン王に万一のことがあれば泥沼の内乱が起こるのは不可避だ。それどころか、王位継承権の内乱だけでなく、力ずくで征服した各地域からも火の手が上がるだろう。

そういった意味でも、ただの権力闘争というだけでなく王に女性を娶らせる事を望む声は大きいのだが、アスラン王はその一切を無視してきた。

「遠征の継続が覆らないとなったら、今度は貴方の傍に自分の娘を近づける為に軍に同行させようとする貴族も少なくないでしょう。・・・父の手紙では、今、都の未婚の婦人方の間では馬術剣術がブームになっているようですよ?」

「・・・なんともありがたい話だ。それならいっそアマゾネス部隊でも編成するか。」

思わずアスランは天を仰いだ。

権力争いに非常に熱心な貴族たちの粘着気質を良く知るニコルは、アスランの気持ちをこの上なく理解して同情を寄せた。

「まあ、それについては追い返せばいいだけですが。実際、足手まといですしね。・・・でも、キラを傍に置くという事はまだ本国には伝わっていないでしょうが、それが知れたら今度こそイザークの時以上の騒ぎになりますよ。『陛下は女性に興味が無い』という噂は貴族達のなかで確定事項になるでしょうね。」

「いっそそれで諦めてくれるならありがたいが。」

「それどころか実力行使に出るでしょうね。寝室に女性が忍び込んでくるのは当然。それでも追い返すなら睡眠薬で眠らされて既成事実だけでも・・・なんて事も考えてたりして。」

「やめてくれ。」

しれっとした顔で語られる、ありがたくない、しかも現実味のありすぎるシチュエーションに、アスランはげんなりと顔を覆った。