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イザークは不機嫌だった。

自分に宛がわれた部屋のベッドに半身を起こしたまま、じっと暗闇を睨む。

どうしようもない事とはいえ、キラを一人王の下に残してきたことがどうしようもなく重苦しくイザークの心に圧し掛かっていた。

自分が王の相手をしなくて済んだ事は良いが、だからといってキラの事を思えば平然としていられるほどイザークは薄情ではない。

キラと接触した時間は僅かなものだが、民の為に屈辱を飲む事を受け入れたという境遇はイザークと同じもの。そして、王に膝を折りながらも決して卑屈な態度は見せなかった矜持もイザークは好ましく思っていた。

問題は、そうした誇り高さを好ましく思っているのがイザークだけではなく、王もまたそうした人間を好むという事だ。

そして、王の方はその理由が歪んでいる。

王は真綿で首を絞めるように、プライドをへし折り追い詰めていく事こそをを楽しんでいるようだった。それはイザークが身をもって体験したことからの推察だ。

男が男に冒されるなどその際たるもの。

「・・・下種が。アレが王だと?聞いて呆れる。」

一人でなければ絶対に口に出す事の出来ない愚痴を小さくこぼし、イライラと髪に手を突っ込んでかき回す。

行軍中のテント生活から開放され久しぶりに屋根のある部屋で休めるというのに、少しも眠気は襲ってきてくれない。

ベッドに入ったのが遅かったとはいえもうかなり夜も更け、もう半刻もすれば空も白み始めるかという時刻。

もういっそ朝まで起きているかと渋面となったところへ、不意に慌しい足音がイザークの部屋の前に止まったことに気づく。

そしてすぐに明確な訪問の意思を持って扉が叩かれた。

「・・・・・・おい。イザーク・ジュールだな、起きろ。」

「・・・何だ。」

不機嫌な顔に、更にくっきりと深い眉間の縦皺が刻まれる。暗闇の一人部屋で、それを見るものはいなかったが。

すぐの返答に扉の向こうの声は少し驚いたように一瞬つまった。

「ああ、まだ起きていたか、丁度良い。カイ殿がお前をお呼びだ。」

「・・・わかった、すぐに行く。」

カイは寝室の控え室に居た王の小姓だ。

イザークは一つ憂鬱なため息を吐いた。こんな夜更けに呼び出される理由。・・・どう考えても良い話であるはずがない。

それに、状況からしてその内容も大体の想像がつく。

杞憂であって欲しいと思いながらも予想が間違っていないだろう事を確信しつつ、重い気分でベッドから下り、鏡の前に立ち軽く身なりを整える。これはいついかなる時であろうと他人に付け入られる隙を作らない為に身についたことだ。

イザークは自分の目で確認するまではと思索を避け、部屋を出ると足早に先ほど戻ってきた道を逆に辿る。

夜明けも近いというのに城内は兵たちが行き来する物音で相変わらず慌しく、あちこちに焚き上げられた篝火で昼のように明るかった。

しかしそれらも城の最奥と言って良い王の寝所のあたりには届かず、イザークは自分の早い足音だけを聞きながら先を急ぐ。

そして先ほどキラを連れてノックした樫の扉を再び叩き名乗ると、2拍ほどして扉が開いた。

「・・・来たか。」

「ああ。」

扉から顔だけを出した小姓はイザークの姿を確認して中へと招き入れた。

その様子は、小姓として完璧に躾けられ、自分の感情を露にする事が滅多にない彼にしては珍しく憂鬱気で、イザークは自分の杞憂が杞憂ですまなかったことを悟る。

「私はここを離れられない。・・・早く連れて行って手当てをしてやれ。」

そう言って彼が指し示したのは。

「・・・・・・キラ。」

キラは意識を失い、青ざめた身体を申し訳程度にシーツに包まれ長椅子に横たえられていた。

この小姓にとっては、キラは一度顔をあわせただけでろくに人となりも知らないどころか、自軍に大きな被害を与えた征服国の象徴たる人間だ。

しかしそれでも小姓の声は心配そうに顰められていた。

元々この小姓は心優しい性質ではあるが、それを差し引いても思わず心配せずにはいられないほどに、キラの状況は痛ましいものだった。

元々のつくりが華奢なこともあり、大きな暴力を受けたキラの身体は今にも息絶えてしまいそうに見える。

力なく投げ出された足には、キラが流した血と乾いた精が白くこびりついていた。

ただでさえ鋭い眼光をこの上なく険しく細めたイザークは、ピクリともしないキラに近づいた。

「・・・・・・・・・・・・・・随分と気に入られたらしいな。」

まず指の形がはっきりと残った首の痣が目を引き、険しい顔は何かを堪えるように更に歪む。

更にシーツに包まれていない青ざめた肌には、愛撫の痕とするにはあまりにも色濃い赤と、歯型が痛々しく覗いていた。

僅かな肩口だけでこの有様ではシーツに隠された部位を含めればどうなっているかと、イザークに胸にぶつけ様のない怒りと嫌悪がこみ上げる。

この数年イザークは王の相手を務めているが、こんな異常なまでに執拗な愛撫を受けたことは無い。・・・ これが愛撫と言えるものなら、だが。

「良いから、早く連れて行け。」

「・・・ああ。わかっている。」

イザークはぐったりとしたキラの身体を抱き上げた。

動かされてもキラはまったく何の反応も見せず、横抱きされてガクリと首を仰け反らせ痛々しい痣を晒した。

不興を買ったのか、気に入られたのか・・・、おそらく後者だろうと予想をつける。王は気に入らない人間をこんなに手を掛けて弄ぶようなことはしない。心情で、または言葉そのままの意味で切り捨ててそれで終わらせるだけだ。

眉間に刻まれた皺を更に深くしながらイザークは部屋を出る。

「・・・・・・馬鹿め。」

誰にともなく低く呟かれたその声は回廊に落ち、誰の耳にも届かなかった。