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マティウス落城の報は、当時13歳だったキラも聞いていた。しかしその詳細は遠国という事もあり、オーブの情報網では集めることが出来なかった。

唯一伝わってきたのは、マティウスの国主一族は殺されること無く、生かされたという事だけ。

プラント軍の今までとは違う対応にオーブの首脳部では様々な議論が交わされた事もあったが、その事実の裏に、まさかイザークの捨て身の行動があったとは。

初めて聞き及ぶ詳報に、キラは驚きを禁じえない。

「・・・しかし、陛下はイザークを殺さなかった・・・。」

イザークの望みどおりにしたならば、今彼が生きているはずもない。今と言う結果から推察させるのは。

「イザークがプラントに仕えるならば、マティウス公を助けると仰った?」

王はキラの問いに笑ってうなずいた。

「正確には、エザリア・ジュールとマティウスの民を、だがな。」



兵に取り押さえられたイザークは、アスランの前に引きずり出された。

一人で敵陣に飛び込むなど行動そのものは浅慮もいいところといえる暴挙だったが、目の前に現れたアスランを凄絶に睨み、首がほしいなら俺の首を取れと凄む姿は流石に支配者の血を感じさせる堂々としたもの。

幸か不幸かは別とし、それがアスランの興味を引いた。

『将来はどうあれ、今は公爵の子供でしかないお前の首に、それだけの価値があると思うか?』

そう嘲笑したアスランにイザークは『俺を愚弄するか』と、髪を逆立てて激昂した。

公国で最も尊い存在の嫡子として、兄弟も無く、かしずかれて育ったイザークは、見下されることに慣れていない。

臣は、母であるエザリアに心酔するものが多く、その子供達もイザークには慇懃だった。

友人と呼べる気の置けない存在は、マティウスの数少ない友好国であるフェブラリウス王国の同年の第三王子くらいだ。

軽口すら滅多に向けられない環境で育ったイザークは、一国の王とはいえ一つ年下の少年であるアスランに受けた屈辱に、顔を真紅に染めた。

だが、アスランはイザークの怒りをあっさり受け流し、ますます興味をそそられた様子で不穏な微笑を浮かべる。

『・・・だが、お前がプラントに下り俺に忠誠を誓うならば、今後の期待値も含めて、マティウス公と同等の価値を認めても良い。』

『なんだと・・・』

怒りに赤く染まったイザークの端麗な顔が、もはや鬼神の如き憤怒を表して引きつり痙攣した。

『痴れ者が!!誰が貴様などに膝を折るものか!!』

『ならば、母親も含め、国と共に死ぬか?』

こちらはそれでも一向に構わないのだと言外に告げ、アスランは残酷にイザークを見下ろし笑った。



「すぐには返答しかねる様子だったからな。行軍開始の予定であった翌日まで、その日は客人として丁重に遇した。」

「丁重に、ですか。」

どんな待遇だったものかとキラは皮肉気に言葉を返したが、当然アスランがそんな小さな嫌味に気を悪くした様子もなく置いた酒に手を伸ばす。

「もちろん。この上なく丁重に、な。」

事実、イザークはこの日、ぞんざいな扱いを受けることも無く、暖かな寝床と食事、身の回りの世話をする従者を与えられた。

それは、簡素な生活を好むアスラン王のものより遥かに豪勢なものだったと言える。

それがプラントの余裕を示し、イザークのプライドを傷つける事を知っていての対応だった。

長話で咽喉が渇いたのか、王は酒をあおった。

「・・・・・・お注ぎ致しましょうか。」

空になった王のグラスに、キラはチラリと視線を向けて言うが、王はあっさりと首を振った。

「いや。話ももう終わる。」



翌日。

一睡も出来なかったのだろう、透き通ったアイスブルーの瞳を赤く濁らせたイザークは、屈辱に震えながらアスランの前に跪いた。

どんなに屈辱を受けようと、どれほどプラント王アスラン・ザラを憎悪しようと、彼は民草に責任を負う公子だった。既に、一人で敵陣に乗り込むような暴挙を演じたのだ。これ以上自分が名もない一個人のように振舞うことは出来ないと理解していたのだ。

イザークがアスランへ膝を折った瞬間、事実上マティウスはプラントの支配を受け入れた。

マティウス公国の国主はイザークの母エザリアではあるが、イザークを抑えられ、また占領後に民が舐めるだろう受難を思えば、現実主義者である彼女に徹底抗戦の道は取れないからだ。

かくして、国民は虐殺を免れ、マティウス公エザリアは身分を剥奪されプラント本国へと送られ幽閉された。

それによりイザークは見えない鎖につながれ、あらゆる意味で自由と人としての尊厳を奪われ今も冒されたまま――。



「・・・それ以来、イザークはずっと陛下のお傍に仕えているのですか。」

「そういうことだ。天にも届きそうなプライドとあの見事な銀の髪が気に入って気まぐれに飼うことになったが、思いのほか役に立ってくれる。・・・色々な意味でな。」

王の言葉に、なるほど彼が未来の自分の姿か、とキラは改めて思い目を伏せた。

他人に蔑まれ、仕えるべき王には冷笑を浴びせられ、しかし逆らうことは決して許されず。

それを思うと、キラは未だに心の芯を折られることなく王への怒りを胸にもち続けているイザークに尊敬すら覚える。

彼自身と、周囲のプラント兵の言葉や態度を見れば、彼の置かれている状況が酷く屈辱的なものである事に間違いはない。

普通、どう足掻いても苦痛から逃れられぬと知れば、人は大抵その状況に慣れ、胸には諦めと絶望に浸されるようになるものだ。

しかし、彼の冷めた青の瞳には、まぎれもない炎があった。

それを知りつつ今もイザークを身の傍に置き続けている王の酔狂さには呆れるばかりだが、それを心配するべきは自分ではないだろう。

「・・・面白いな。」

不意に思いついたように、王は手の中のグラスを弾いた。場違いなほどに澄んだ反響音が暗く空気の淀んだ部屋に響く。

「お前とイザークと。わが国へ下ったという点においては結果的には同じだが、その経過は決定的と言って良い程に違う。その違いがお前たちの違いそのものだ。」

国の滅亡を受け入れながらも予期せぬ偶然によって膝を折ったキラと、最後の最後まで国を生かそうと足掻きながらも屈したイザーク。

方法論として、どちらが良くてどちらが悪いという事ではないが、確かに性格の違いが良く出ている。

比較される根拠は不愉快な事この上ないが、そんなものかと聞き流したキラの耳を低い笑い声が打った。

「・・・・・・もっとも、馬鹿だという点は同じか。」

キラとイザークを嘲弄する台詞だというのに、王の唇に浮かんだそれはキラの目に自嘲を伴っているように見えた。

「・・・陛下?」

しかし、王は不審気に探るようなキラの視線を断ち切るように空になったグラスをテーブルに置くと、体重を感じさせない動きで椅子から立ち上がった。

「・・・・・・そろそろ話にも飽きたな。」

何の予備動作もない、しなやかな動きにキラは一瞬驚き固まったが、あわてて自分も椅子から立ち、その横へと控える。

そのキラへ、王は寝室へと続く扉を顎で示した。

「・・・・・・・・・・来い。」