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時は、7年ほど前に遡る。

そもそもの発端は、王位争いだった。

アスランの父である前王パトリック・ザラが病没した後、隣国クィンティリス公国の公子がアスランよりも優位な王位継承権を要求したのである。

クィンティリス公子の母はパトリックの妹であり、アスランの母は正妃ではなく側室の一人でしかなく、また出自も名ばかりの貴族でしかなかった。

貴種の血をより濃く引くのは自分であるとの主張だった。・・・もっとも、その当の公子は当時7歳。本人は何も判らぬ子供でしかなかったが。

しかし本人の意思がどうあれ、国として王位を要求されたのである。捨て置くことも出来ない。

当然、交渉は決裂。アスランはプラント王を宣言し、それにより両国間で戦争が勃発した。

そして、それこそが温和で聡明と謳われたアスラン王子が血に塗れた修羅の道を踏み出した第一歩となった。

プラント、クィンティリス間戦争は、少数精鋭を率い、王自ら戦場に立ったプラントの勝利により僅か3ヶ月で終結。事が王位簒奪を狙っての事であったために、パトリック前王の喪が明ける9ヶ月の後、クィンティリス公の一族は幼子に至るまで一族郎党根絶やしにされたのである。

惨く血なまぐさい結末ではあったものの、一旦はこれで戦火は収まるものと思われた。

しかし、今回の王位争いには、ノウェンベル共和国が裏で糸を引いていた事が発覚した。

プラントとしては、今回の一件の全てを知っているのだとノウェンベルに釘を刺すだけで、事態の収束を図ろうとしたものの、ノウェンベル共和国の一部の狂信的共和主義者が暴走し、戦端が開かれた。かつて150年ほど前この一帯はプラント王国の支配下にあり、その後プラントの弱体化によって、ノウェンベルを含むいくつかの国に細分化したという歴史から、プラントに対しアレルギー的な考えを持つものが起こした暴挙だった。

これにより、なし崩し的に対ノウェンベル戦争は全面戦争の体を成した。

戦争終結まで、1年2ヶ月。

この戦いもまた、プラントの勝利に終わった。

・・・ここまで、プラントが、アスラン王が能動的に戦端を開いた例は無かった。全ては受動的なものであり、結果征服戦争となったものだけだ。

しかし、この戦いの後、王は変わった。

まだ18歳という若い王の内でどんな変化が起こったのか、それは変貌と呼ぶに相応しいものだった。

アスラン王は、ノウェンベルとの戦争に勝利した直後、過去栄華を誇ったプラント王国の再建を宣言。最大領土を誇った当時の領土に属していた各国へ、自治権の移譲要求という宣戦布告と同義であるような要求を突きつけた。

当然それらの国々が要求を拒むと、次々にそれらの国へ攻め入った。その中にイザークの母国であるマティウス公国が含まれていた。

――歴史に「もしも」はない。

だが、「もし」宣戦布告を受けた国々が結託し、プラントに対すればまた結果は違うものとなったかもしれない。プラントは良く鍛えられ、実戦経験豊富で洗練された軍を持っていたが、当時はまだ、今ほどの圧倒的な兵力は持たなかったのだから。

だが、元々紛争が耐えなかったこの地域は、昨日の敵と手を結ぶことで背中を刺される事を恐れたのだ。勿論――それはアスラン王も折込済みのことではあったのだが――。

そんな中、最後までプラントに抗ったのが、マティウス公国。

しろがねの貴婦人と謳われたマティウス公、エザリア・ジュールは、プラントからの文書を一読しただけでその紙を炎に変え、要求を一笑に付した。

マティウスのケースは滅ぶべくして滅んだオーブと違い、決して初めから勝算がなかったわけではない。

マティウスは大陸の最西端に面しプラント王国から地理的に最も遠く、侵略の手が届くまで時間の猶予があった。

実際に、プラント軍がマティウス侵攻を開始するまで、2年近くの年月があった。

その猶予期間に交易が盛んで整備された港を持つ事を最大限に利用し、糧食や軍需物資の備蓄に備え、然るべき地に軍を配し、内陸から攻め入しかないプラント軍の長い補給線を断ち撤退に追い込もうと考えたのだ。

・・・しかし。

マティウスに侵軍したのは、プラントに滅ぼされ奴隷となった諸国の兵士だった。

家族を母国に残し人質にとられ、国境にはプラント軍本隊が退路をふさぎ、元より撤退など出来るはずもない彼らは、それこそ死に物狂いで戦った。

補給が絶たれ糧食が尽きれば町や村を襲い略奪した。

そうして国は次第に裾野から荒れ始め、軍の統制に乱れが生じ始めたところを待ち構えていたように、プラント軍本隊は侵攻を開始した。

そして、整備された街道はマティウスに富を齎した交易商人ではなく、侵略者たちを都へと導き―――。



「マティウスは、我が軍が都まで30キロというところに迫った時点で、条件降伏した。その時にはもうマティウス軍はかなり消耗し、街道の要所は我が軍が押さえて連絡網は殆ど機能していない状態だったからな。撤退に追い込むことは最早不可能という結論を出したんだろう。」

過去を振り返るように顎を撫でながら王は言った。

その様子は、彼が行ってきた卑劣な行為などまったく伺わせないほどに優雅で、優しげにすら見えた。

だからこそ感じる凄みと、語られる詳細なマティウス滅亡の経過にキラは慄然とし言葉を失った。

「・・・なんだ。何か言いたそうな顔だな。」

清廉潔白な性格のキラにとって、マティウス侵攻の顛末が不快なものでしかないことを判っていて、王はニヤリと笑う。

言ってみろ、と顎をしゃくるが、キラは無言で首を振った。これがこれから起こることならばいくらでも進言する余地はあるが、これはもう終わってしまったことだ。

「そうか。なら、話を続けるぞ。」

アスランもそこを深く突っ込む気は無いらしく、泰然と足を組みなおし、再び長い口を開いた。

「マティウスの降伏条件は色々と面倒な事を書き連ねていたが、一番の要旨は占領後、民草には手を出さず市民としての身分を保障しろというものだった。だが、マティウスを落とすために余計な手間をかけさせられたのは違いない上、そんな要求を呑まずともすべてを滅ぼせばすむことだ。直ちに武装解除し無条件降伏をするか、要求を呑んで欲しいのなら公爵の首を土産に持って来いと使者を送り返した。」

マティウスにとって、公爵の存在は大きかった。エザリア・ジュールは血統により爵位を継いだ公爵だが、彼女は統治力とカリスマを持ち合わせており、強い影響力を持っていた。

プラントにとっては非常に邪魔な存在であるが、それだけにマティウスにとっては最後の希望である。

そんな彼女の首を切ってよこすなど、端から思ってなどいなかった。

また、ジュール一族の気位の高さは知らぬものもない程に有名な話で、ならば国に殉じて共に死んでもらおうとも考えていた。

「だが、約束の期限が翌日となったその日だ。『殺すならば自分を殺せ』と、イザークがただ一人で我が軍の陣に飛び込んできたのはな。」

その時の事を思い出したのか、アスランは笑いを抑えられない様子でくつくつと声を立てた。