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『お前は、プラントの為に何をしてくれるんだ?』


生粋のプラント国民であるならば、その質問は当然の義務を問うものでしかない。

しかし、キラにとってそれは残酷な問いだった。

『命じられたから』 『命令に逆らうことは許されないから』

そうした自らへの言い訳も慰めも許さず、己の複雑な感情もねじ伏せて、プラントの・・・母国を滅ぼした国の利となる事を自分で考えろと――。

王の言うことは即ちそういう事だ。

今更ながらに、ニコルから受けた説明の真意を理解する。

キラとイザークに命令を下すものが王しか居ないという事もそういうことだったのだ。

なんて――残酷な。

揶揄するかのように優しげに問われ、キラの顔は怒りと屈辱にサッと朱が差した。

無意識にかみ締めた奥歯がグッと擦れた音を立てる。

しかし、頭に血が上り咄嗟に声を張り上げたくなったキラを押し留めたのは、キラを心配そうに見ながら部屋を後にしたイザークの顔だった。

この後に起こる事由を知っていて、それでもどうすることも出来ずに無言のまま部屋を後にした彼。

キラとイザークを『似たもの同士』と言ったこの王は、マティウス陥落の後イザークにも同じように問うたのかもしれない。

あの誇り高くも勘気の強い彼は、どのようにこの場を凌いだのだろうか。

あまり健全な考えではないが、この屈辱を受けたのは自分だけではないという推測は、キラに少し冷静さを取り戻させた。

キラは瞑目し深く息を吸った。

王族の一員の勤めとして、感情のコントロールは訓練を受けている。数時間前、血の匂いと殺戮の余韻に包まれていた塔では完全に失敗したが、二度同じ失敗はしない。

――冷静になれ。そして考えろ。

――自分に何が出来るか。相手に何を望まれているか。

――その上で、全てのカードを見せるな。

次に目を開いたときキラの面に浮かんだのは、一切の私情を捨て去ったかのような冷静かつ冷徹な無表情。

そして、硬い声で言った。

「何でも。如何様にでも。」

「ほう?」

「猿回しの猿の如く踊れと仰るならば、その通りにいたしましょう。」

キラの返答に、アスランは初めて驚いたように目を見開いた。

猿回しの猿。それは道化の意。唯々諾々と上から命じられるままにしか動けぬもの――。

が、それ以外にも猿は重要な意味を持つ。

それは引き綱を持つ人物の為に派手な言動で目を引き、人心を計り、情報を操作するパフォーマー。

侮蔑の対象であることに変わりはないが、巨大な組織を束ねる為には決してその利用価値は高い。特に戦時下の軍にとっては。

先程、陣中でイザークは陰間風情がと陰口を叩かれた。そして、イザークに連れられ就寝前の寝室に呼ばれた事の意味をキラももう判っている。

どうせ嘲笑を受ける事になるならば、それを極めるのも一つの道だ。

アスランは一瞬呆気にとられて目を見張ったが、その一瞬の空白の後、声を上げて笑う。おかしくてたまらないとばかりの哄笑は、明らかに嘲りの色を含んでいた。

それに気づきながらも、キラはただ口を噤んで王の返答を待った。

鋭い紫の光彩の前でネジが切れたように笑いを収めた王は、ぞっとするような笑みをその冷酷な面に浮かべた。

「大きく出たな。身の程も弁えず、己の身をもって俺に仕えるという意味を理解したとも思えない愚か者が。」

「・・・・・・・。」

「オーブの希望、暁の王子。行く末は王と、真綿に包まれるように育てられたお前がサルを演じられるものか。」

王の声は、気の弱いものが聞けばそれだけで震え上がるような冷たさを持っていた。

しかしキラは怯むことなく昂然と首を上げたまま、真っ向から王を見据えた。いつもなら受け流せる皮肉がひどく感に障る。空きっ腹に流し込んだ酒が殺したはずの感情を煽り立てるのだろうか。

「なぜそう言いきれます。」

キラの声は感情をそのままあらわすように揺れた。

それに返るのは、まるで情を持たぬかのような冷たいもの。

「お前があの取引にそのまま応じた馬鹿だからだ。」

「っ・・・・!?」

今度こそキラは怒りに頬を染め目を見開いた。

感情の手綱が一瞬で引きちぎれそうになる。

酒が入っていることもあり、普段なら椅子を蹴倒して立ち上がっているだろう。それをしなかったのは、ひたすらに何も感じぬようにしていたからだ。

それでも全くの無反応とはいかず、ビクリと震えた足がテーブルへあたり、グラスが小さく抗議するように音を鳴らした。しかし、それに気づく余裕もない。慣れた感覚より僅かに重い、その腰のものへ手を伸ばさないように自制するのが精一杯だ。

キラは元から穏やかで激することの少ない少年ではあったが、まだ18歳。

若さは大きな武器ではあるが、精神戦ではそれに振り回される事が多い。今のキラも然りだ。

――感情を殺せ、何も感じない人形のようでいろ。

しかしそれでも、抑えていた怒りがふつふつと湧き上がってくる。膝の上におかれた拳がワナワナと震えた。

「・・・そうせざるを得ないように仕向けた貴方がそれを仰るのですか。」

「だからこそだ。」

「何が、だからこそなのです。」

視線で人が殺せるのならばと思うほどにキラはアスランを睨むが、その視線はつるりとアスランの面の皮を撫でるだけ。

王は物分りの悪い子供を見るような目でキラを見る。

「誠実かつ清廉潔白であるのは実に結構だが、お前は本当に俺がオーブの民に手をかけぬということをどこまで信じている?」

「・・・・な・・」

キラは怒りも忘れ呆然と王を見直した。熱くなった思考に冷水を浴びせられ、ぞっと鳥肌が立つ。

「仮にも・・・仮にも王たる御方が・・・誓約を破ると仰るのですか?」

「あくまで例えだ。・・・だが、もし俺が契約破り、オーブの民に、あるいは姉姫に手を掛けたらお前はどうする?」

この上なく残酷に、王は最悪の未来を並び立てる。

「まだこの地に残されたオーブの民を見捨て、俺に剣を向けるか?または自ら命を絶つか?それとも、お前が守るべき存在がなくなるまでただ涙を流すか?」

キラは凍りつき言葉を失った。

先ほどとは違う理由で震える拳にチラリと目を向けると、王は酒で唇を湿らせて尊大に足を組んだ。

「・・・だからお前は馬鹿だというのだ。この程度の可能性を予め予期することもなく身を売り、今覚悟を据え即答することも出来ない。」

アスランは大きく足を組んで呆れたようにキラを見た。

キラは、王の言ったことが単なる例えなのかを必死で考えながら、何とか反論の糸口を探す。

「わたくしが愚かであると思ったならば、なぜあのような取引を持ちかけたのです。それに、いくら例えとはいえ契約を反故にする可能性を自ら口にするなど、離反を唆すような事を」

「それでもお前は決して俺に叛く事はない。」

王はキラの言葉をさえぎり言い放った。

「お前は甘い。そして、幼い。いくら虚勢を張ろうと、そうしたものが透けて見える程度にはな。だが、これから化ける素質は感じた。だから取引を持ちかけた。・・・理解出来たかな?」

「・・・・・・・・っ・・・・」

自分が口にする全てが王の一言によって簡単に握りつぶされていく事に唇をかみ締める。

必要な時であっても非情に徹しきれない自分をキラは自覚していた。父王にそれを指摘されたこともある。

更に幼さを理由の一つに上げられてしまえばキラに反論の余地はなく、出来ることといえば拳を震わせ唇をきつく噛むことだけだった。

しかし、そんな小さな反抗すら王は許さない。

「そんなに唇を噛むな。見目良い事がお前を買った理由の一つだ。それを自ら傷つけるのは許さん。」

まるで色を売るものを見る目で窘められ酷い屈辱を覚えるが、それが間違いではないことに思い当たって更に胸の奥が重くなった。

しかし、その蟠る感情を吐き出す術すら奪われたキラは、自分の情けなさに怒りより虚しさすら覚える。

そんなキラの様子をどのようにとったのか、王は安心させようというわけでもなく、つまらなそうに鼻を鳴らし軽く肩を竦めた。

「・・・今のところ、民に手を掛けるつもりはない。マティウスの時も、民には手を出してはいないのだからな。信じられなければイザークに聞いてみろ。」

「・・・イザーク。」

マティウスがプラントに滅ぼされたことは知っている。

その公子であったイザークがプラントに居るということと、前日の王の発言から、彼もまた取引をしたことは伺えたが、やはりその推測は正しかったのか。

眉をひそめたのがわかったのだろう。アスランはニヤリと笑った。

「そうか、『聞かなかった』と言っていたな。・・・まあ尤も、アレの性格だ。聞いたところで素直に答えるとは思わないが。」

そう言って、アスランは低く笑う。その動きに合わせて、王の手の中の酒が揺れるのをキラはじっと睨み、そそられる好奇心を抑えた。

知りたくないと言ったら嘘になる。今後の参考になる可能性もあるからだ。

だが、むやみに首を突っ込んでもいい話でもない。それは、彼と同じく国を滅ぼされたキラだからこそ、他人事ではなく感情を共有できる。

しかし、そんなキラの感情を見透かしたように、アスランは酒で湿らせた唇を一舐めした。

「イザークが教えなかったのなら、俺が言おう。・・・これから共に働く同僚の事だ。隠し事があるのは良くないだろう?」

台詞は親切めいているが、明らかに楽しんでいる。

キラは不快感を押さえられず、眉根をしんなりと寄せた。

アスランはそんな様子すら楽しげに笑い、半分ほどを開けた酒のグラスをテーブルへと置いた。たとえ、キラがマティウスの一件を聞きたくないと言っても、それを許さないという意思表示のように。

そして、キラの予感が正しかったことを証明し、王は腕を組んで口を開いた。