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「無骨だが、悪くない趣味だ。」

「・・・おそれいります。」

辛うじて失礼に当たらない速さで返答したキラの声は、喉に張り付いたようだった。

滅ぼした国の王の趣味を、その息子に対し褒めるなど、酔狂に過ぎる。

「ニコルがお前に剣を与えたと聞いたが・・・それがその剣か。」

キラの腰に目を留め、アスランは手を出した。

よこせ、という態度に、キラは帯剣から剣を鞘ごと抜く。

部屋に入る前に振り払ったはずの馬鹿な考えが再び頭を過ぎり、剣を捧げ持った手がわずかに震えた。

一瞬とはいえ、震えた手を見逃すはずもなく、王は泰然と座ったままニヤリとキラに笑う。

「・・・そのまま剣を抜いて俺を切るか?」

王の言葉にピクリと背が震え、キラの動きが止まった。

「陛下なにを・・・・・キラ!!」

「動くなイザーク。」

あせったイザークがキラの肩に手をかけ引き戻そうとするが、アスランは一声でその動きを封じた。

視線をまっすぐにキラに向けたまま、王は挑発するように手にした酒を揺らす。

「この体勢ならばお前に利がある。机が多少邪魔だろうが、お前は剣を持ち、俺は椅子に座ったまま。更に言えば、お前はすでに剣の間合いに在る。・・・さあ、どうする?」

「・・・・・・・・・・・・っ・・!」

キラの脳裏に、城下に踊った業火が蘇る。プラント兵に殺されたオーブ兵の遺体は、うつろな目で無念を叫んでいた。

いったん収まった耳鳴りが再び脳をかき回す。

軽く剣を支えていただけの手がはっきりと意思を持って柄を握りこみ、イザークは息を呑んだ。

長いようなほんの一瞬の沈黙。

「・・・・・・・・・どうぞ。」

キラは、剣を差し出した。

「なんだ。つまらない。」

アスランは不満気に鼻を鳴らし、逆にイザークは安堵したように息を吐き出し肩を落とす。当然、すぐに王を睨んだ。今、王が試したのはキラだけではない。背後に立つイザークに対しても同様である事くらい判っている。

もしも、キラが僅かでも剣を抜こうとしたら。イザークは王に動くなと命じられていたが、それでも王を守るかキラを殺さなければならない。

ほんの僅かの逡巡も許されない場面で、王に十分な殺意を持つイザークがどう動くかを試したのだ。

こうして試されるのは珍しいことではないが、いい気分はしない。

そして、剣を差し出したままのキラも、軽侮の目を向ける王へはっきりと言った。

「僕は、臆病者と言われても卑怯者にはなれない。オーブの民と引き換えに忠誠を誓ったんです。万一、今ここで剣を抜き、陛下を弑することができたとしても、それによってオーブを焦土に変え、オーブの民を裏切ることはできません。」

「なんの面白みも無い、教科書通りの模範解答だな。」

「無辜の民の命が掛かっている場面で博打を打つのはただの馬鹿です。それに・・・」

いったん言葉を切ったキラは、少し表情を緩めた。

「貴方に万一の事があれば、僕はニコルに殺されます。」

「・・・なるほど。」

忠実な臣にして友である彼の優しげな相貌を思い出し、アスランは苦笑した。ニコルならば言いそうな事だ。

虫一匹殺せないような穏やかな顔も確かに彼の一面だが、その顔の下には感情に流されることのない冷徹さを秘めている。

目の前にある剣が見慣れたその彼のものであることを確認し、聞いた噂が事実と改めて認識する。

ならば、とアスランは苦笑を深くした。

その彼の性格から言って、剣に込められたメッセージは、キラだけへ向けられたものではないだろう。

――あまり無体をするな、ということか?ニコル。

王の苛烈な言動に臣は追従し、今でははっきりと諌言できる人間も数少なくなった。ニコルはその少ない中でも筆頭に上がる存在だ。

「随分と気に入られたな。」

「とても良くしていただきました。」

「そのようだな。珍しい。」

アスランはもういいと手を振り、キラは恭しく後退って腰に剣を戻した。そしてキラは元の位置・・・イザークの僅かに後ろへと控える。

王はゆっくりと手にした酒で唇を湿らせながら言った。

「イザーク。お前はもういい。下がれ。」

「・・・・・・・は。」

イザークはちらりとキラを見る。だが、キラの身が心配でも、王の命令には逆らえない。第一、これからの事を考えれば、残れと言われた方がはるかに問題でもある。

これは、キラが選んだ道なのだ。・・・かつての、自分と同じように。

「では・・・御前、失礼いたします。」

イザークは礼をとり、静かに部屋を辞す。

そして部屋には王とキラが残された。


「この短い間に、イザークとは随分と親しくなったようだな。」

「はい。いろいろと教えて貰っています。」

「やはり、似たもの同士、気が合うものか?」

「・・・・・・・。」

キラは返答に窮した。

国を滅ぼされたもの、という意味では似たものとはいえるだろうが、性格的にはあまり似ているとも思えない。

更に気が合うかと聞かれても、それにもはきと答えられるほど深く相手を知ったわけでもない。

そんなキラの沈黙をどうとったのか、アスランは一口酒を含んで唇に暗く太い笑みを刻む。

「やはり、イザークは自分のことは語らなかったか?」

「私が聞かなかったのです。」

マティウスの名を口にしてイザークに怒鳴られたことは、馬鹿正直にすべてを語る必要はないだろうと、あえて伏せる。

が、キラの表情から何も知らないわけではないらしいと、アスランは楽しげに片頬を歪めた。

「喋るたびにお前を見上げるのも疲れる。座れ。」

顎で正面のカウチを示す。

拒否する理由もなく、キラは『失礼します』と断り、王の正面に当たらぬように浅く腰掛けた。

そうしている間にアスランは手元の呼び鈴を鳴らして小姓を呼ぶと、すぐに控えの間へと続く扉が開き、小姓が姿を現した。

「キラのグラスと酒を。」

「かしこまりました。御酒は如何いたしますか?」

「任せる。」

「すぐにご用意いたします。」

カイと呼ばれた小姓は一旦下がったが、キラは口を挟む間もなく流れるように終わった会話に戸惑う。まさかここに来て酒を勧められるとは思わなかった。

それを口に出す前に小姓は、すぐにグラスと酒、軽い肴を持って戻って来た。王は彼の前では話すつもりはないのか口を噤んでいるため、キラもまた黙らざるを得ない。

すべてのセッティングを終えて小姓が慇懃に頭を下げ部屋を出て行くと、それでやっと王は口を開いた。

「・・・酒は苦手か。」

重苦しい静寂から逃れて、キラは僅かに安堵しながら答える。

「いえ・・・たしなむ程度ですが・・・。」

声を発した事で僅かに息を吐き、今更ながらに手のひらは冷たい汗で濡れていることに気づいた。

とかく他人を緊張させる雰囲気を持つ人だ、と、キラは失礼にならない程度に王を観察する。

キラとは5つも違わぬ年だというのに、生まれながらに王者であることを主張する圧倒的な風格。

顔のつくりは女性的とも言える美貌だが、胸の内の激しさが現れたように精悍でもある。

王という身分を思えばあまりにも簡素と言えるだろう漆黒の服に包まれた身体は意外なほど細身に見えるが、その実は鍛えられた筋肉の塊だ。

――堪らないな・・・。

キラはさりげなく膝に置いた手の汗を拭いながら内心眉を顰める。

王の権威、磨き抜かれた翠玉のような鋭い顔、並ならぬ戦士としての実力のすべてをもって威圧してくるかのような、アスランの視線。

一度それに気づくと、逃れた沈黙よりはるかに重苦しい息苦しさを感じて仕方がない。

それを振り払うように、キラは目の前に用意された酒に手を伸ばした。

「では、いただきます。」

キラはほとんどヤケになってグラスに注がれた琥珀色の液体を半分ほども飲み干す。

しかし、思ったよりも強かった酒は喉を熱く焼いてすきっ腹の胃を焦がした。・・・考えてみれば当然だ。半日、キラは何も食べていない。

「・・・・・ぅ・・・・・・」

じりじりと焼け付くような痛みに、キラは思わず顔をしかめた。

「30度あるこの酒をその飲みっぷりで嗜む程度とは頼もしい限りだが、無茶をして体を損なわれては困るな。」

まるで、道具の扱いを嗜めるような口調。

王は腹を押さえて低く呻いたキラの様子にくつくつと笑い、自らの酒を軽く含む。

「お前にはこれから存分に俺のために働いて貰わねばならないのだから。」

一時の痛みも収まり、それに反感を覚える余裕を取り戻したキラは、キっと顔を上げた。

「判っています・・・。」

手にしたままだったグラスをテーブルに戻し、キラは不遜にあたるほどに真っ向から王を見た。

「ニコル様から所属についての説明は聞きました。ですが、それ以外の詳細、命令については陛下から下されるとのみしか伺っておりません。・・・私はこのプラントで、何をしろというのですか?」

キラの柔らかな紫眸が、挑戦的な鋭い光を放った。

にらみ合うような視線が絡まり、一瞬にして部屋を凍りつかせる。

が、王はそんな緊張を簡単に解き、ふっと意外なほどに柔らかな表情を浮かべて見せた。

「・・・では、逆に聞こうか。」

そして、言った。

「お前は、プラントの為、俺の為に何をしてくれる?」

と。