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夜闇が血に染まった白亜の城を覆い、主を変えたその様をキラの眼から隠す。

しかしイザークの後について城を歩く、少ない灯りの下でも隠しきれぬほどに、ほんの僅かな時間で変わってしまった城の様子に目を伏せた。

攻撃の際に壮麗な美しい城のあちこちは崩れ、最後まで城に残る事を選択した忠義厚い兵の血で床や壁は赤く染まっていた。

キラの目が届く範囲内では略奪を受けた様子は無く城内に大きな変化は見られないが、見慣れた城内はまるで見知らぬ場所のようだった。

今城の中を歩き回るのは、青と白を基調とした制服のオーブ軍人でもきびきびと裾捌きも鮮やかに忙しそうに働く女官たちでもない。

支配者は、軍靴も高らかに城を踏み荒らしている緑色の軍服をオーブの血で赤黒く染めたプラント兵。

城の中を進むごとに、高まる鼓動によるものかキラの耳の奥でざあざあと耳鳴りがする。

全身を浸す疲労すら追いやる奇妙な興奮と緊張で、ただ歩いているだけなのに驚くほどに呼吸が乱れた。

先を歩くイザークが眼に留まった男を捕まえ、王の居場所を訪ねる。

忙しそうに廊下を小走りにしていた彼は、イザークの目立つ白銀の髪と紅の軍服に気づくと顔をしかめた。彼もまたイザークを侮っているのかとキラは思ったが、そうではなかった。

彼は兵ではなく王の小姓。王の側近くに使えることからイザークとも顔見知りで、仲が良いとはお世辞にも言えないが険悪なわけでもない。仕え易いとは言えない主へ共に仕えるという意味で、協力しなければならない同僚だ。

それだけに、彼がイザークに嫌がらせをすることはありえない。だから、顔をしかめたのにはそれなりの理由があった。

「陛下は先ほどお休みになると、寝室に入られた。お前が戻ったら直ぐに通せとの仰せだ。・・・遅いぞ。」

最後の一言は明らかに非難を含んでいたが、イザークは意に介さない。

「王が遅れてもかまわぬと言ったんだ。問題は無い。」

「いいから早く行け。場所は・・・・・・」

制圧したばかりの城では場所もわからないだろうと、小姓は通路を指さす。口頭で順路を説明されたその場は、キラには父であるオーブ王の寝室であった部屋だと判った。

ある程度予測していた事とはいえ、キラは握った拳に力を込めた。言いようの無い感情が胸に溢れて叫びだしたくなる。そんなキラに気づきもせず『早く行け』と忙しそうに小姓は走り去った。制圧後間もない敵城だ、やることはいくらでもあるのだろう。

イザークは怒りを呑んだキラの表情を横目で一瞥する。

その表情で、王の居場所がキラにとって非常に不愉快な場所であることは容易に想像がついた。相変わらずの王の趣味の悪さに嫌悪感を掻き立てられる。

「・・・行くぞ。」

イザークもまた感情を押し殺した声で一言告げ、言われた道へと足を向けた。

オーブ王家の寝室は、寝室、居室、控えの間の3部屋からなり、敵の容易な侵入を防ぐと言う意味からも入り組んだ所にある。

勿論その場所はキラは知っているが、足を踏み入れたことは殆どと言っていいほどに無い。

格式ばった礼儀作法が求められることの多かったオーブでは、家族と言っても王族の面会には何かと面倒な取次ぎが必要で、そうして他者を介すれば面会は中室である居室で為された。もっとも、双子の姉姫であるカガリは、取次ぎも待たずにキラの寝室へ遊びに来る事は度々であったが。

父から侵略者へと主を変えたとたん部屋の奥に招かれるとは、なんという皮肉だろうか。

扉の前には、その両脇を守るようにザフトの所属を示す緋色の軍服を着た兵が立っていた。二人が近づくと鋭い視線を向けてくるが、キラはともかくとしてイザークの事は知られているのだろう。誰何されることは無かった。

暗い表情のキラの前に現れた、分厚く艶のある樫に美しい女神が彫り込まれた扉。かつては期待に胸を高鳴らせて開くのを待ったその扉が、今は冷たくキラの前に在る。

耳の奥で繰り返す潮騒のような耳鳴りは、キラの思考を妨げるほどに大きくなる。

「陛下のお召しにより参った。」

話は通っているらしく、ザフトの二人は中に確認する事も無くイザークの要請に応じ、無言のまま扉を開いた。

通路から入ったすぐの部屋は、控えの間。そこには中から呼ばれればすぐに用を果たすために一晩中当直の小姓が詰めることになっている。この部屋はオーブの慣習により作られた部屋であったが、どうやらプラントも事情は同じらしく、身なりの良い小姓がいた。

椅子に座っていた彼はすばやく立ち上がり、イザークとその後ろから歩み寄るキラを一瞥する。

「陛下がお待ちだ。早く行け。」

そうして指し示された片開きの厚い扉。

この扉の向こうにあの漆黒の衣を纏った王がいると思うだけで、一度はキラの胸の奥に封じた怒りと憎しみが噴出しそうになる。

大きく息を吐いても、狂ったような鼓動は収まる様子が無い。

腰に下げた剣は身に慣れた感覚より遥かに重く、自己主張を繰り返す。

――不意をつけば、あるいは・・・。

キラの脳裏に馬鹿な考えが過ぎった。

イザークは、震えるほどに拳をきつく握り締め扉を睨むキラを僅かに一瞥すると、一歩進み出て扉に手を掛けた。

「イザークです。キラを連れてまいりました。」

「・・・入れ。」

扉の向こうから聞こえたのは、間違いなくあの王の声。

キラの心臓が、ドクン、とイザークにも聞こえるのではというほどに大きく一度脈打った。

扉はキラの胸を軋ませてゆっくりと開く。

胸が破れる程に心臓が脈打ち、眩暈がするほどに掻き乱れた感情に耐え切れなくて、キラはきつく目を瞑った。

せめぎ合う激情に吐き気すらこみ上げる。・・・なのに。

「来たな。」

鼓膜の奥で鳴り響いていた耳鳴りが、潮が引くように突然消えた。思考は澄み渡り、胸の中を渦巻いていた葛藤も消え去った。

「・・・遅くとも良いとは言ったが。それにしても遅かったな。」

キラは、声の方向へ顔を上げ、目を開いた。

返り血にも濁ることの無い黒衣。一点のみ鮮やかな色をした緑の瞳は、入り込めば生きて戻ることの無い樹海の森を映して。

父愛用の長椅子に、王が座っていた。

オーブを滅ぼした、プラントの王が。

強張ったキラとは対照的に、さっと先に部屋へと入ったイザークが慇懃に頭を下げた。

「すべては陛下のご命令どおりに。」

悪びれる態度のないイザークに、アスランは笑う。

「確かに。待たされはしたが時には遅れていないか。」

一頻り笑った王に、逆にイザークは怒りを抑え込んだ苦い顔を浮かべた。そんな反応は日常なのだろう。王はイザークの非礼をとがめず、イザークの背後で固まったままのキラに目を向けた。

その視線を受けてイザークもまた目を向ける。控えの間から居室に入ることも無く、王を目に入れたまま大きな息を繰り返す姿はイザークの憐憫を誘った。

イザークは城に入ってからのキラの変調は気づいていた。

ほんの数時間前、自分がそれしかないと納得してプラントへ下ることを決めたのだとしても、つい先ほど城下町と城で目の当たりにしたオーブの無辜の市民が被った災禍は容易に看過できるようなものではなかった。

故に、その元凶である王との対面を前に怒りと悲しみが新たに膨れ上がったのだろう。

動けば剣を抜き放ち、声を上げれば呪いの言葉を吐き散らしたくなる衝動と戦っているのだろう事は容易に想像がついた。

しかし今イザークがキラをかばうわけにはいかない。寧ろ王に叱責を受ける前にキラの非礼を正す方が彼の為だ。

「何をしている。早く入れ。」

「・・・は、い。」

イザークの叱責に、キラは強張る手足をギクシャクと動かした。しかし、紫の瞳は瞬き一つせず、不自然なまでに王を凝視したまま。

それでもなんとかキラが扉を潜り、そこから2歩ほどの場所で足を止めると、背後で当直の小姓が静かに扉を閉める。

居室は一軒簡素ながらも重厚で落ち着いた色調の家具で統一され、部屋の主人であったキラの父の気質を良く表していた。

そうしてすべてが父の痕跡を残す部屋で、ただひとつ、一点の染みが浮かびあがるような違和感は、眼前の黒衣の王の存在。

父の部屋で、父の椅子で、父の酒を飲んでいるのは、紛れもない仇。

しかし、それと同時にキラが忠誠を売り渡した男だった。