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「・・・やっと終わったか。」

情熱的な罵倒を披露してくれたオクトーベル将軍の背中を、イザークは疲れた様子で見送り呟いた。その前に立つキラも思わず嘆息を禁じえない。

『顔を見せてから戻れ』

王の言葉どおり、イザークは3人の将にキラを紹介して回った。

広い陣中を捜し歩くだけでも大変なのに、既にオーブの王子がプラントへと下った事実は陣中を駆け回っているらしく、更に行く先々で好奇と侮蔑の視線を向けられるのには辟易する。まあ、余計な説明をする手間が省けるのは良いが。

分かっていたが、一番初めに会ったニコルが稀有な例外だったのだとキラは身をもって思い知った。そのニコルすら、イザークの言によれば決してキラが気を許せる相手ではない。

「・・・これで全員と顔を合わせたな。」

「はい。」

「・・・どうだ、印象は。」

試す様に薄く笑ったイザークにキラは難しげに眉を潜めた。

プラントの士官は常勝の軍将であるが故にプライドは高く、敗者への目はことさらに厳しい。

キラが今あった3人の将軍の中、オクトーベル将軍マルコ・モラシム卿と、ノウェンベル将軍ジェレミー・マクスウェル・オーラス卿の2人には嘲罵と嘲笑を受けた。特に、前者はあえて時間の無い時に訪ねるというイザークのささやかな抵抗を完全に無視した罵倒を長々と浴びせてくれたものだ。

イザークからの話によれば、モラシムはプラントの隣国であったノウェンベル王国との戦いで全ての家族を失ったらしく、敵に対する憎しみが強く、戦場での戦果を求める傾向があるという。

彼の家族を奪ったノウェンベル王国は、4年前にプラントに飲み込まれ現在はプラントの一地方となり、その名が冠せられた軍団が、今キラが訪ねたもう一人の将軍マクスウェルに束ねられているのは皮肉と言おうか。

そのマクスウェルはモラシム程の敵愾心はなかったものの彼は王の拡大主義の信奉者で、プラント王国が過去最大の領土と勢力を誇った数百年前の栄光を取り戻そうとしているらしい。彼の妻が他国出身の貴族という事もあり、あまりの過激な考えに彼の家族は付いて行けず、嫡子のラスティ・マクスウェル・オーラスは数年前に出奔し現在行方不明だという。

しかし、そのモラシムよりも強烈な印象を残したのが、もう一人の将軍、クィンティリス将軍ラウ・ル・クルーゼ卿だった。

クルーゼは顔上半分を完全に覆う仮面をつけていた。

キラが以前にオーブの間諜得た情報でも、プラントには仮面で顔を隠した将軍が居るとの話だった。彼は血統主義のプラントにあっては珍しく貴族階級ではない叩き上げでのし上った将軍であり、それゆえにこの兵団は7軍中最も強く、最も敵に容赦が無いと聞く。

ゆるい癖のある金髪を無造作に肩まで伸ばした男の身体は戦士としては細く、一見とてもそんな恐ろしげな噂の主とは思えない。

だがすぐに気づく。身を包むオーラというか、気配が尋常ではない。

それは、プラント王のような相対するものを萎縮させるほどの覇気というものではなく、じっとりと足元から這い上がり知らぬ間に絡め取られていく・・・まるで蜘蛛のような。

表情を完全に隠す仮面のせいもあるだろうが、細いながらも鞭のような身体つきとも相まって、妖しげな雰囲気を纏った男だった。

「噂が回るのは早い。話は聞いている。・・・王がお決めになったのであれば、私が言うことは何も無い。精々プラントの為に働いてくれたまえ。」

彼が口にしたのはそれがすべてであり、言葉に激しいものはなく、声は皮肉気なものを帯びてはいたがただそれだけだった。

なのに――彼は存在だけでキラに強烈な印象を残し、奇妙なまでの不安を掻き立てた。彼が仮面の下でどんな表情をしていたのか判らないそのせいかもしれない。だが、キラは明確な理由は判らないまでも、この不安を深く胸に刻んだ。

自分に人を見る目があるかは微妙なところだが、それでもそのように感じた事は大きな情報の一つだ。顔が見えないということは十分注意を払う理由になるし、彼が印象通り絡め手を得意とする人物ならば、彼と対するときには最大限言動に警戒を払う必要がある。

「一癖も二癖もある方々ばかりですね。」

「・・・それから?」

面白がっているように、イザークはニッと口角を吊り上げる。

「・・・将軍としての実力はある方々のようだけど・・・そのせいか、横のつながりは薄いのかな。寧ろ、反りが悪いんじゃないかな。特に、セクスティリス将軍と他のお二人は。」

戦果を求めるモラシムが最強と名高いセクスティリス軍のクルーゼと仲が良いとは考えがたいし、懐古主義で血統を尊ぶマクスウェルが貴族出身ではなく這い上がった将軍を快く思うとも思えない。

3人を思い返して考え考え印象を口にしたキラに、イザークはフッと笑みを和らげる。どうやら及第点は貰えたらしい。

「かなり時間を喰ったな。・・・戻るぞ。」

イザークは東の空を睨んだ。

まだ白み始める程ではないが、気づくと振り返った西の空よりも星が少なくなっている。夜明けは近そうだ。

「はい。」

イザークは身を翻し、キラが付いてきているか確認もせずに無言で足早に馬を停めてある場所へと戻り始めた。身長とストライドの関係でキラは自然に小走りになるが、当然彼は足を緩めてくれない。

王は遅くなっても良いとは言ったが、それでも想定外に時間を喰った以上のんびりとしては居られない。

しかし、この僅かなりとも長引いた時間をイザークは消極的にだが歓迎していた。そして、この時が終わってしまう事に痛ましさを覚えた。二人にとって、この命令の遂行が楽しいものであるはずがなくともだ。

キラはこの後の自分の運命をどの程度理解しているのか。

イザークには、キラがあの塔で王と交わした会話だけでは全てを理解したとは思えなかったが、この少しの間に陣中を連れ回した時にもれ聞こえた噂話で多少は事態を飲み込んだであろうし、そう願った。全くの予想外であるより、多少でも心の準備が出来たほうが傷は少なくて済むだろう。

イザークは自分が一度通った道であるだけに、この後、キラに襲い掛かるであろう災禍を簡単に予測できる。

しかし逃がす事などできはしない。

それは、キラが負う事を決意した責を放棄させると同時に、イザーク自らも、背負ったものを捨て去ることを意味するからだ。

馬を駆り城へと戻る合間に、イザークはチラリとキラの様子を伺った。

キラはしきりに周囲を気にし、軍靴に踏みにじられたオーブの大地を悲しげに見つめていた。火を放たれ、未だ燃え続ける城下町に入れば、その表情は更に曇り、強くかみ締められた唇が赤く滲んでいた。

それらの様子にはこの先の自分の心配をしている気配は微塵も無い。判っていて尚、自分の今後よりオーブの被害に心を痛めているのであれば大したものだ。

「・・・まあ、どちらでもいいさ。」

ここに至ってはもうイザークにしてやれることも無い。態々今後の運命を突きつけて不安を煽る事も無いだろう。

二人は城門を潜り、厩ではなく城前の広場に馬をつける。城脇に作られた厩舎は攻撃の際に崩れ落ち、最早用を成さなくなっている為だ。

広場には城攻めのための兵器が無造作に転がり、また占領から時間が経っていないこともあってオーブ、プラント両軍の犠牲者がそのままに放置されていた。

その辺で死体の始末をしていた兵に馬の世話を押し付けると、二人は瓦礫と化した城扉の足場の悪さに気をつけながら城内に入る。

イザークは振り返らなかった。

自分の城を無残に壊された王子の顔を振り返ってまで見ようと思うほど、彼は無慈悲ではなかったから。