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「・・・さて。じゃあ、僕は行きますね。そろそろ戻らないと、副官に怒られちゃうんで。」

意味深な台詞の真意を問いただす前に、ニコルはそう言ってニコリと笑いキラとイザークに背を向けた。

追求を避けたかったのか、本当に忙しかったのかは聞いたところで素直に教えてくれるはずもないが、その両方かもしれないとキラは思った。

精鋭部隊だけに優秀な副官がいるのかもしれないが、それにしても一隊の隊長職を預かる人間が戦闘直後にふらふらして良い訳はないし、また、初対面の人間にこれ以上自己の内面に係わる事柄を簡単に話せるとも思えない。

「おい、」

イザークは話は終わっていないと不機嫌な声で睨むが、そんな顔には慣れっこらしいニコルはあっさりと聞き流した。あの、完璧だからこそ心を窺わせない笑顔で。

「貴方方も、挨拶回りは早いほうがいいですよ。夜が明け次第入城の命が下りましたから、このどさくさの方が嫌味は少なくて済むでしょう。・・・ああ、その剣は適当な剣を見繕うまで預けておきますね、キラ。」

それだけを言い終えるとバサリと天幕の向こうに消えた後姿を見送り、キラはつぶやいた。

「・・・不思議な人だな。」

見方によっていくらでも印象の変わる人だと思った。外見通りの繊細な優しさと、冷酷なまでの冷徹さを違和感なく内包しているからなのか、感情の底が見えない。

「油断ならない奴だ。気をつけろよ。」

「悪い人ではなさそうだけど。」

「だからこそ性質が悪い。あの顔に気を許していつの間にか洗いざらい本音を吐かされてクビを切られた人間は少なくないぞ。」

「ああ、それはありそうだ。」

「・・・阿呆!何を悠長なことを言ってる。」

納得して頷くキラにイザークは神経質に眉間に縦筋を刻む。

「あいつはザフト隊長以外にも他の役職を実質兼任している。本来ならこんな所で油を売っている暇なんか無い。そんな男が何故よりにもよって今、お前に会いにきたと思ってる。」

「あからさまに品定めだとは思ったけど・・・。」

それくらいの事は当然であろうし分かっているとキラは言うが、イザークの表情は厳しいまま。

睨むように鋭い目をニコルが出て行った天幕に向け腕を組んだ。

「そうだ。そして、もしお前があいつの目に適わなかったなら、あの時お前の首は本当に飛んでいたぞ。」

「え?」

「お前を生かすと決めたのは王だが、お前が王に悪影響を与えると判断したなら、ニコルはお前を殺すことをためらわない。王命に背いたとあらばいくらあいつでもお咎めなしとはいかないだろうが、それでもそれを躊躇せず出来るからこそ、ニコルはあの若さでザフトの隊長職を任されている。」

さっき、ニコルに剣をつきつけられたあの時。キラはあれはただ自分を試すものだと受け取っていた。

話の間中あからさまに値踏みをされている感はあったが、ニコルはあの警告を発する一瞬以外は終始穏やかな笑みを浮かべていたし、殺気は勿論のこと、悪意を感じる事も無かったから。

今キラがいくら思い返しても、彼と対峙して命の危険を感じることは一切無かった。

しかし考えすぎではと思うにはキラはニコルの人となりを知っているとは言えず、もしその通りだとすれば・・・、キラは今更ながらにゾッとした。

もしもキラがもっと凡庸な人間だったとしたら――もしそうなら王は気まぐれを起こす事は無かったであろうから、無意味な仮定ではあるのだが――ニコルはここまでしなかっただろうとイザークは思う。毒にも薬にもならないと見切りをつけ、顔を合わせただけで後は記号的にキラの名前だけを記憶の片隅に留めて置くだけだろう。

良きにつけ悪しきにつけ、それほどにマークされているということは、それだけで危険なのだ。特にキラやイザークのような立場の人間には。

イザークの目から見れば、キラは自分への認識が甘すぎる。――過去の自分と同じように。

今までは王子という尊いとされる身分にあって薄氷を踏むような立場になることがなかったのは当然だから、そうした嗅覚が鋭くないのは仕方が無いのかもしれない。

だがこれからはそれでは困るのだ。

イザークとしても、この敵ばかりのプラントの国で、唯一”同盟者”となるかもしれない貴重な存在をそう易々失うわけにはいかない。

「忘れるな。どれほど軟弱に見えても、あいつは生粋の貴族だ。」

強いイントネーションで発せられた貴族という言葉。

どこの国でも権力と財力に溺れ本来の役割を忘れ奢侈に堕落するものも多いが、真の貴族とは決してそんなものではない。

民草には慈悲をもって接しなければならないが、決して彼らの中に入り込んではならない。そして何より、主君の暴政には敢然と立ち向かい王を諌めなければならない。

誰にも肩入れしてはならない故に、王にも遠く、民にも遠く、誇り高き孤高のバランサー。

それがイザークが定義する貴族の在りようであり、キラもそれに依存は無かった。

しかし、よりにもよってニコルの天幕の内で彼の危険性を指摘されるとは、どんな皮肉だ。

キラはやや青ざめた表情で頷いた。

少し脅しすぎた感もあるが、気を緩めて取り返しの付かない失敗をさせるよりは良いだろうとイザークは自身を納得させた。

一つため息を吐いて、気を取り直す。

「では、そろそろ俺たちも行くぞ。・・・あいつの言葉じゃないが、確かに今のどさくさに済ませた方が嫌味は少ないだろう。」

今にしろ後にしろ、どちらにしろキラへの態度が好意的なものになる可能性はない。プラントの将軍は気位の高い者が多い。ニコルは数少ない例外だ。どっちにしろ罵倒を受けるのなら短いほうが良いのは当然だ。こちらには、王の命令という強みもある。

はい、と大人しく頷いたキラに、イザークは少し予備知識を与えておくかと軍のお歴々の姿を思い浮かべた。

「キラ。プラントの軍編成を知っているか?」

「おおまかにだけど・・・。プラント軍7軍のうち、4軍がこの遠征に参加しているという事くらいは。」

オーブとプラントは戦ったのだ。当然、最低限以上の情報は収集しており、実際に指揮を執ったキラもそれを知っている。

プラント軍は7軍団+ザフトで構成されている。うち2軍はプラント防衛の為に国に残されており、さらにもう1軍は各征服国の警備・・・事実上の監視の任にあり、今回の遠征にあるのは4軍+精鋭のザフト。

「今はそれで十分だ。ニコルはもう良いとして、これから顔合わせにいくのはその4軍の将軍4人・・・いや、3人、だな。師団長クラスは追々覚えれば良いだろう。」

「3人?」

「セクスティリス将軍は今回の城攻めの際、戦死されたそうだ。後任はおそらく将軍の息子がその任につくことになるだろうが、顔合わせは実際に任命されてからで十分だろう。」

イザークの言葉尻に気遣いを感じ、キラは思わず目を伏せる。

城攻めの際というならば、その将軍はキラが殺したのだ。実際に手を下さなかったとしても、篭城の指揮を執っていたのはキラなのだから。

戦場では敵はただ敵でしかなく、その場において顔や名前はまったく意味を持たないが、倒していったものたちが一人の個人であり、家族あるものである事は当然のこと。

このオーブ最後の戦いがキラの初陣であったわけではないが、敵の顔がはっきりと見えたのは初めての事で、キラの胸は痛んだ。

「そう・・・ですか・・・。」

掠れた声にキラの苦悩を感じるが、イザークはそれには追及しない。そんな繊細な神経ではこの場所でやっていけないだろうが、それを自分で乗り越えられなければ生き残ることは出来ない。そして、生き残れない者にイザークは用が無いのだから。

「行くぞ。陣は広い。ぼやぼやしていると夜が明ける。」

「あ、はい。」

ニコルよりも乱雑に天幕の入り口を跳ね上げたイザークに続き、キラもまた外に出る。

夜はまだ深いが、周囲を見渡せる程度のかがり火は焚かれ移動に備え動いている人間は多い。

キラはイザークを見失わないように距離をつめ、彼の後を追った。