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カガリをキサカに託した後。

キラは、住み慣れた城内を無言のまま走った。

歴史を物語る重厚にして壮麗な城は、初めて受ける侵略という暴挙に普段とは全く違う顔を見せていた。

ほんの一月前。キラが回廊を歩けば、城で働く女官が優雅に腰を折り、貴族の姫君が頬を染め笑いさざめいた。警備兵は踵を鳴らし、出仕した貴族たちが興味深い話を聞かせてくれた。

暖かな日の光が燦燦と降り注ぐ城は美しいキラの家であり、守って行くべき国の象徴だった。

それが、今はどうだ。

城を華やかに彩った女たちの姿は無く、完全武装した兵が殺気立ちながら走りぬけ、負傷したものが廊下の隅に蹲っていた。

戦いの邪魔になる装飾品は取り外され、多くの扉は堅く閉じられた。

プラントから宣戦布告を受け、圧倒的な兵力差を覚悟で従属の道に背を向けることを決めた時、ウズミは逃げるものは逃げるようにと国中の門を開いた。

家族のあるものの多くは逃げ、そのときに、城の金目のものを掠め懐に隠して逃げていった者もいる。

そうした心無いものもいるが、しかし最後まで国と、王と運命を共にすることを選んだ者も多くいた。

「いらっしゃいましたか、キラ様。」

「・・・将軍!!」

玉座の間へと続く、控えの間。

そこへ立っていたのは、ウズミの右腕である老将だった。

血に濡れ姿を現したキラに、既に老年の域に達した将軍は一つうなずいた。

「上も、もう落ちましたか・・・。」

「ごめん。時間稼ぎが精一杯だった。」

「なに。あれだけの兵力差で時間稼ぎが出来たならば十分。・・・成長されましたな。」

王子に向けるものではない、もっと親しげな暖かい視線がキラに注がれた。将軍はキサカの前にキラとカガリの教育係として仕えた。

懐かしく過去を振り返り、キラはハッと将軍に言わなければならないことを思い出した。

「そうだ。将軍。此処に来る前にカガリに会って・・・その時ちょうど来てくれたキサカさんにカガリを任せました。」

「カガリ様?カガリ様はもう城を脱出されたのでは・・・。」

いぶかしげな声を上げた将軍だが、すぐにカガリの気性を思い出して深いため息をついた。教育係として身近にいた存在であり、カガリの性格は彼女以上に知り尽くしている。

心配は尽きないが、しかしこの状況では最早出来る事もない。

「さて、あの馬鹿息子にカガリ様の御守りができますかどうか。」

冗談めかして笑う将軍にキラは少し顔をほころばせた。すると、精悍に引き締まった兵の顔が年相応の屈託のないものになる。

オーブのすべての民が愛したと謳われる、天使の笑み。

「キサカさんが駄目なら、誰にも務まらないよ。将軍の一人息子以上に鍛えられた人なんて、この国に居ないんだから。」

「言ってくれますな。」

楽しげに笑うが、その老いに深い皺の刻まれた目尻に微かな涙が浮かんだ。

国を、王家を守り果てる事は、生粋の軍人である将軍にとっては誉れであり、国が滅ぶことが決定した今、息子も同じくその信念に殉ずる事を恐怖したことはない。

しかし、キラと自分は死ぬことを選んだが、カガリは生きるべきもの。その彼女と行ったということは、キサカ・・・彼の息子が生き残る可能性が生まれたことを意味する。

信念だけではかき消せぬ親としての情が、一瞬、将軍の胸から鎧を外させたのだ。

「・・・・・・キラ様・・・。」

生まれたときから近くに接し、孫のように思いここまで育ててきた、美しくも純粋な愛すべき王子。

「できるならば、貴方様も助けて差し上げたかった・・・!!」

らしくもない繰言にキラは少し困ったように首を傾げるが、直ぐにアメジストの瞳はどこまでも清冽に将軍を見上げた。

「ありがとう。・・・でも、僕は僕の役目を果たします。」

キラの瞳には何の波もなく、静かに凪いでいた。

吸い込まれそうな穏やかな瞳に、将軍は自制を取り戻し、取り乱した自分を恥じるように首を振る。

「・・・申し訳ない。老人の戯言とお聞き流しくだされ。わたくしも年をとったものです。」

「将軍を年寄り扱い出来る人などいませんよ。」

キラはあながち冗談でもなく肩をすくめる。

「・・・陛下とは?」

「はい。もう、お別れは済ませました。」

「・・・そうですか。」

門が破られたとの連絡を受けてから数分。

愛する城を踏み荒らす軍靴の音は近くまで迫りつつあった。

「・・・さあ、キラ様も中へ。陛下がお待ちです。」

「・・・はい。」

うなずいたキラは、将軍へと深く頭を下げた。

「・・・貴方に教えを受けたことを、誇りに思います。」

「・・・・・・さあ、お早く。老体に鞭打って、100人のプラント兵は道連れにしてやりますゆえ。」

老少は最早キラに目を向けず、回廊へと向き直り剣を抜いた。