2 カガリをキサカに託した後。 キラは、住み慣れた城内を無言のまま走った。 歴史を物語る重厚にして壮麗な城は、初めて受ける侵略という暴挙に普段とは全く違う顔を見せていた。 ほんの一月前。キラが回廊を歩けば、城で働く女官が優雅に腰を折り、貴族の姫君が頬を染め笑いさざめいた。警備兵は踵を鳴らし、出仕した貴族たちが興味深い話を聞かせてくれた。 暖かな日の光が燦燦と降り注ぐ城は美しいキラの家であり、守って行くべき国の象徴だった。 それが、今はどうだ。 城を華やかに彩った女たちの姿は無く、完全武装した兵が殺気立ちながら走りぬけ、負傷したものが廊下の隅に蹲っていた。 戦いの邪魔になる装飾品は取り外され、多くの扉は堅く閉じられた。 プラントから宣戦布告を受け、圧倒的な兵力差を覚悟で従属の道に背を向けることを決めた時、ウズミは逃げるものは逃げるようにと国中の門を開いた。 家族のあるものの多くは逃げ、そのときに、城の金目のものを掠め懐に隠して逃げていった者もいる。 そうした心無いものもいるが、しかし最後まで国と、王と運命を共にすることを選んだ者も多くいた。 「いらっしゃいましたか、キラ様。」 「・・・将軍!!」 玉座の間へと続く、控えの間。 そこへ立っていたのは、ウズミの右腕である老将だった。 血に濡れ姿を現したキラに、既に老年の域に達した将軍は一つうなずいた。 「上も、もう落ちましたか・・・。」 「ごめん。時間稼ぎが精一杯だった。」 「なに。あれだけの兵力差で時間稼ぎが出来たならば十分。・・・成長されましたな。」 王子に向けるものではない、もっと親しげな暖かい視線がキラに注がれた。将軍はキサカの前にキラとカガリの教育係として仕えた。 懐かしく過去を振り返り、キラはハッと将軍に言わなければならないことを思い出した。 「そうだ。将軍。此処に来る前にカガリに会って・・・その時ちょうど来てくれたキサカさんにカガリを任せました。」 「カガリ様?カガリ様はもう城を脱出されたのでは・・・。」 いぶかしげな声を上げた将軍だが、すぐにカガリの気性を思い出して深いため息をついた。教育係として身近にいた存在であり、カガリの性格は彼女以上に知り尽くしている。 心配は尽きないが、しかしこの状況では最早出来る事もない。 「さて、あの馬鹿息子にカガリ様の御守りができますかどうか。」 冗談めかして笑う将軍にキラは少し顔をほころばせた。すると、精悍に引き締まった兵の顔が年相応の屈託のないものになる。 オーブのすべての民が愛したと謳われる、天使の笑み。 「キサカさんが駄目なら、誰にも務まらないよ。将軍の一人息子以上に鍛えられた人なんて、この国に居ないんだから。」 「言ってくれますな。」 楽しげに笑うが、その老いに深い皺の刻まれた目尻に微かな涙が浮かんだ。 国を、王家を守り果てる事は、生粋の軍人である将軍にとっては誉れであり、国が滅ぶことが決定した今、息子も同じくその信念に殉ずる事を恐怖したことはない。 しかし、キラと自分は死ぬことを選んだが、カガリは生きるべきもの。その彼女と行ったということは、キサカ・・・彼の息子が生き残る可能性が生まれたことを意味する。 信念だけではかき消せぬ親としての情が、一瞬、将軍の胸から鎧を外させたのだ。 「・・・・・・キラ様・・・。」 生まれたときから近くに接し、孫のように思いここまで育ててきた、美しくも純粋な愛すべき王子。 「できるならば、貴方様も助けて差し上げたかった・・・!!」 らしくもない繰言にキラは少し困ったように首を傾げるが、直ぐにアメジストの瞳はどこまでも清冽に将軍を見上げた。 「ありがとう。・・・でも、僕は僕の役目を果たします。」 キラの瞳には何の波もなく、静かに凪いでいた。 吸い込まれそうな穏やかな瞳に、将軍は自制を取り戻し、取り乱した自分を恥じるように首を振る。 「・・・申し訳ない。老人の戯言とお聞き流しくだされ。わたくしも年をとったものです。」 「将軍を年寄り扱い出来る人などいませんよ。」 キラはあながち冗談でもなく肩をすくめる。 「・・・陛下とは?」 「はい。もう、お別れは済ませました。」 「・・・そうですか。」 門が破られたとの連絡を受けてから数分。 愛する城を踏み荒らす軍靴の音は近くまで迫りつつあった。 「・・・さあ、キラ様も中へ。陛下がお待ちです。」 「・・・はい。」 うなずいたキラは、将軍へと深く頭を下げた。 「・・・貴方に教えを受けたことを、誇りに思います。」 「・・・・・・さあ、お早く。老体に鞭打って、100人のプラント兵は道連れにしてやりますゆえ。」 老少は最早キラに目を向けず、回廊へと向き直り剣を抜いた。 |