11 未だ夜明けも遠い深夜。 王の命令を実行するためにイザークに連れられ来たプラント軍本陣は、暗闇の中松明の赤い炎に照らされ慌しい空気に包まれていた。 城下に放たれた火の鎮火と城の制圧が完了し、安全が確認され次第、城へと場所を移すのだろう。首に奴隷であることを示す首輪を嵌められたもの達が、疲れた様子を見せながらも忙しく動き回っている。つまづき手にしていた櫃を取り落とした男には怒声と鞭が飛んでいた。 「・・・っ!」 オーブには奴隷という身分はない。話には聞いていたが、改めて奴隷という存在の現実を目の当たりにし、キラは衝撃に唇を噛んだ。 「何をしてる。さっさと・・・。」 知らず足が止まっていたらしい。イザークがついてこないキラを振り返り、その視線の先を見て険しい表情を歪めた。 「・・・行くぞ。・・・・・・・・俺たちには、何の権限もない。救うべき人間を間違うな。」 その振り絞るような低い声は、彼も奴隷の扱いには納得していない事を示していた。そして、その彼も奴隷たちを不憫に思いながらも救える手を持っていない事を。 確かに今、もはや国の王子ではない自分はここでは何も出来ないのだと、キラは己を戒め頷いた。 イザークの言うとおりキラが最も気にかけるべき人間は、ウズミとキラが国を守ることが出来なかった為にこの先どんな苦役が待つとも判らないオーブの民草だ。 両肩に負ったものの重さを改めに自覚したキラは繊細な眉間に深い皺を刻み、無言のままにその場を離れた。 時折場所を確かめるように足を止めながら進むイザークについていく。戦闘で負った傷は痛んだが、今はそれよりもあまりに無力な自分に心の方が痛んだ。 陣中に一人、明らかに他国の衣装を身に纏ったキラはひどく目立ち、遠く近く、キラを目にした兵たちが嘲笑を浮かべひそひそと何事かを話している。 早いもので、オーブ王子であるキラがプラントの軍門に下ったという話が届いていたのだろう。 具体的な内容は喧騒にまぎれて届かないが、好意的なものであるはずがない。 そうである以上別に彼らを捕まえて聞きたいなどとは思うわけもないが、図らずもそれを教えたのは、鎧や剣などの物資の管理を担う武官の冷たい言葉だった。 「服がないだと!?」 「ああ、ない。」 『とりあえず服を与えろ』という王の言葉通り、イザークは物資を管理する天幕を訪れたのだが、返ってきたのは明らかに嘘とわかる拒絶だった。 「無いはずないだろう!貴様、何のつもりだ!?」 「何のつもり、っていわれてもねぇ・・・。このところ兵の数が多くて全部出払ったんだよ。それに、ただでさえ“紅”は数が少なくてね。」 ギッと歯を軋ませたイザークに、武官はニヤニヤと笑いながら言った。その様子を見ればそれが嫌がらせであることは明白だ。 いや、もしかしたら本当に全て出払った可能性も無い事は無いが、この武官がこの事態を最大に利用してイザークを嬲っているのは間違いない。 「・・・それなら、今日のところは緑でもなんでもいいからよこせ!!」 奴隷や徴兵された三等市民は軍服を持たないが、プラント軍において、軍服の色は重要な意味を持つ。 一般兵の緑、そして隊長格の黒。そして、イザークも着ている、血の様な緋。それは、ごく一部のエリート、プラント軍の最高位部隊【ザフト】に所属していることを示していた。 ザフトは兵にとって憧れの対象だ。 その紅を征服国の人間が着る事に怒りと嫉妬を持つものは少なくない。 そうした人間は事あるごとに突っかかり、難癖をつけてくる。・・・この男のように。 この武官の服は緑。イザークは紅を纏い、つまりはこの男にとって上位に当たるわけだが、それでもこんな嫌がらせは絶えなかった。当然、イザークが実質的な権限を持たない事を知っての事だ。 「・・・残念だが、緑も出払っててね。」 「貴様・・・・」 「イザーク!!」 怒りにイザークが震え思わず胸倉を掴み上げ拳を振り上げる所を、後ろに控えていたキラが慌ててとめる。 「無えものは無えんだよ!!俺らに負けた奴隷如きに着せるような服はな!!」 歪んだ憎悪を孕んだ怒声が天幕を振るわせた。 陣中でキラに向けられた嫌悪と嘲笑が入り混じった視線と相まって、その言葉は殆どのプラント兵の本音を代弁したものとキラには聞こえた。 叩きつけられた負の感情に背筋を強張らせたその瞬間。 不意に天幕の入り口が跳ね上げられた。 「・・・全く・・・何を子供じみたことを言ってるんです。」 外の空気と一緒に入ってきたのは、キラと同年代に見える一人の男。 「私怨で職務放棄するつもりですか?彼に服を与えろと言ったのは他でもない、陛下だとか。あなたは王命を拒否するわけですね?」 柔らかな緑色の髪とシトリンの瞳。 いかにも穏やかな容貌は繊細で、とても戦場に立つ者とは見えないが、その身に纏うのはイザークと同じ紅。・・・いや、イザークの軍服にはない金のロープは、明らかに彼が一般兵ではない高位の存在である事を示している。 キラの推測を証明するかのように、胸倉を掴まれたままの武官はこの青年の登場に明らかに顔色を変え、イザークはあからさまに嫌なところを見られた、と舌打ちをした。 「アマルフィー大隊長・・・!」 「チッ・・・ニコルか。」 軍の階級は大隊長。爵位はマイウス子爵。ニコル・アマルフィー。 彼はいずれマイウス伯の広大な領地を受け継ぐという意味だけでなく、王の側近としても知られる彼は忠実なプラント貴族であり、決しておろそかにして良い相手ではない。 何の事情も知らないキラでも、この青年が只者ではないとわかる程に、武官は慌てふためいた。 「い、いいえ、決してそんなつもりでは・・・ただ、俺、いや、私は・・・。」 うろたえる男に、青年は小さくないため息を吐いた。 「イザーク、とりあえず離してください。」 もう大丈夫そうだとキラは判断しイザークから離れ、イザークも舌打ちして乱暴に男を突き放した。 「・・・何しに来た、ニコル。」 憤懣やるかたない様子でイザークは青年を睨む。 「僕に八つ当たりしないで下さいよ、イザーク。僕はただの野次馬のつもりだったんですけど・・・まあ、先に問題を終わらせてしまいましょうか。」 にっこりと微笑んだニコルは、そのままの笑みを武官へと向けた。 「で、本当に無いんですか?」 「は、いや、その・・・・・。」 口ごもりながら、武官は物資の山の一点をチラチラと見る。 そこに目的のものがあるのは明白で、思わずニコルはあまりの情けなさに何度目かのため息をつく。 「・・・もしあるのでしたら、直ぐに出してください。サイズは・・・僕と同じ位でいいでしょう。そうすれば今回の件は不問にします。」 「は、はい!!」 あたふたと男は積み上げられた布の山の中から緋色の軍服を取り出した。 キラが出ようとするがそれを制し、ニコルが受け取る。 「連戦で気が立っているのは判りますが、今後は見逃せません。いいですね。」 「はい・・」 決して納得したわけではなさそうな男にニコルもまた渋い顔となるが、感情は押さえつけてどうにかなるものではない。ましてや、プラントは戦争をしているのだ。もし戦いで親類や友人が戦死したのだとあれば、恨みは消せるものでは無いだろう。仕掛けたのがどちらかという問題は、一般兵にとっては関係のない話だ。 この場はどうにもならないと、ニコルはイザークとキラを外へ促した。 「とりあえず、行きましょう。・・・キラ、でしたね。話したい事もありますし、僕の天幕へどうぞ。」 そうしてニコルはさっさと外へ出、キラ、イザークとそれに続く。 だが、その背中に一つの台詞が投げつけられた。 「ちっ・・・・陰間ふぜいが紅を着やがって。」 吐き捨てられた悪態は、明らかにイザークに向けられていた。 聞こえないほど小さくは無い声にイザークの背が引きつったが、彼はもう何も言わずに天幕を出た。 誇り高いはずの彼が聞き流してしまえるほどに、そうした悪意の言葉は少なくは無いのだとキラは悟る。 そして、自分もそうなるのだと簡単に想像出来る未来に、キラは暗澹とした。 |