10 中立を長く維持し続けたオーブは、決して自国に閉じこもり他国に無関心だった訳ではない。 むしろその逆で、オーブは各国に多くの人間を遣って情報を広く収集していた。この戦乱の世、よるべなく孤高に立ち続ける国家としては、他国の情報は国を左右する非常に重要なもの。 そして当然、王族の義務としてキラも各国の情報を教え込まれ育った。 王が口にしたマティウスという地名。 この男の目立つ銀の髪。 ・・・記憶を洗いなおすまでもなく、彼の特徴はキラが知る一人の人物へと繋がった。 マティウス・・・・・・マティウス公国。 オーブの遥か西方に位置し、しろがねの貴婦人とあだ名されたジュール女公爵が治めていたかの国は整備された街道と、海流に恵まれた港によって齎される交易によって繁栄していた。 もともと、マティウス公国を始めその一帯は諸侯が治める一種特殊な地域であり、周辺国とは折り合いは悪く、国境周辺の小さな小競り合いは絶えることがなかったという。 が、幸いと言うべきか、大規模な戦乱はここ数十年起こらず、その地域はある種の均衡を保っていた。 そのつかの間の平穏が破られたのは、一通の書状。 前王が突如崩御し、即位したばかりのアスラン王率いるプラント王国が、諸国へ臣下として王国の支配下に入ることを要求したのだ。 当然諸国は冷笑と共に要求を拒否した。 そして、それを理由にプラントは宣戦を布告。始めは若く無脳な新王は国と心中したいらしいとすら嘲笑されたが・・・その一帯は僅かに2年足らずで完全にプラント王国に征服された。 かねてより不仲であった諸国が足を引っ張り合い、裏切りを恐れて手を組む事を拒んだ故の自滅といえる結末だった。 そして・・・、最後まで果敢にプラントに抗戦し滅ぼされた国が、マティウス公国だった。 国の支配者ジュール女公爵は奇跡的に命ばかりは救われ、プラント王国へ移送され幽閉された。その彼女には、一粒種の息子が居たはずだった。 その名は確か。 「やはり・・・イザーク・ジュール・マティ」 「言うな!!」 戸惑いがちに口に出した言葉は、イザークの苛烈な怒声であっけなく叩き落された。 今度こそ、アイスブルーの瞳が怒りに燃えてキラを突き刺す。 彼と同じ憂き目に遭ったものであるが故に、その声は平手で頬を打たれるよりもはるかにキラの胸をえぐった。 無意識とはいえ、ここでマティウスの名を出すのはあまりにも無神経だったろう。 「すいません・・・。」 この状況で混乱していることを差し引いても、さっきから失敗ばかりを繰返す自分にキラは悄然と項垂れた。 キラ自身は気づいていないが、その様子はひどく幼げで、まるで自分が小さな子供をいじめているような気分にさせるものだ。 イザークは小さく舌打ちし、気まずげに呟く。 「・・・イザークで良い。」 唐突な言葉に、キラは戸惑う。 「え・・・?」 「イザークと呼べ。敬語もいらん。・・・俺たちはどうせ、同じ穴の狢だ。」 『同じ穴の狢』という言葉を吐き捨てた声音は、哀れみではなく苛立ちともどかしさともつかない不快感を滲ませ、キラは彼の失う事のない誇り高さを知る。 気性の激しさは間違いないが、おそらく怒鳴った事に対しフォローをしている事を感じ、キラはイザークの不器用な優しさを感じる。 「しかし・・・年上の方ですし、教えを請う立場としてはそういうわけにも・・・。」 「・・・お前、年は。」 「18です。」 「・・・そうか。」 イザークは今、アスラン王の一つ上の25歳。・・・マティウスが滅ぼされたとき、彼は20になったばかりだった。 あのころの自分を見ているようで胸が痛むが、イザークは感傷を振り切ってキラに背を向けた。 「俺を呼ぶときはイザークとだけ呼べ。敬語も使うな。・・・3度目は言わせるなよ。」 「・・・はい、判りました。」 「・・・どうせ、すぐにそんなこと言っていられなくなる。」 イザークが歩き出す前に小さく呟いたその言葉。 それは不吉に予言めいてキラの耳に残った。 |