8 「取引だ。」 「とり・・ひき・・・?」 意外なことを言い出した王に、キラは鸚鵡返しに王の言葉を繰り返した。 国は蹂躙され、最早、民も財も国土もプラント王の手に落ちた。キラの手の中にはもう何も残っていない。そんな自分から王は一体これ以上何を奪い取れるものがあるというのか。 キラは訝しげに王を見上げた。 「キラ王子。お前の噂はわが国まで届いていた。」 「・・・・・・?」 「オーブの暁の王子。なんでも彼は天からの御使いのように美しく、行いは正しく、剣を取らせれば剣神の如く適うものはない。しかし心根はあくまで優しく、弱きものに救いの手を差し伸べ、語る言葉は知性にあふれているとか・・・。」 どこまでも美辞麗句を並べ立てた”噂”に、一体誰の事だとキラは唖然とする。国元のオーブでもそこまでの流言は聞いたことがない。 「話は伝わるうちに大きくなっていくもの。それが噂なら尚の事。・・・そんなことは貴方のほうが良くご存知でしょう。」 「言われるまでもない。だが、今回の戦いでその噂はあながち誇張されたものだけではないと思ったのだ。」 「・・・・・・冷然なる残虐王の二つ名を送られたプラント王とも思えない言葉ですね。」 「そう思わせるだけのものをお前が示したということだ。」 キラの挑発とも取れる言葉をまたしても受け流し、王は小さく皮肉に笑った。 「上からオーブ軍の攻撃指揮を執って居たのはお前だな?王子。」 「・・・・・・それが何か。」 「たかが小国の城攻めと将軍に任せていたが、思わぬ抵抗に遭い多くの兵を失った。あれだけの兵でプラント王であるこの俺を引きずり出してくれたその腕は賞賛に値する。ここでただ殺すのも惜しい。」 キラを褒めているようでいて、それは裏を返せば鼻に付くほどの己への自信となるが、常に結果を伴ってきた王の言うことだけに反感は生まれなかった。 それよりも思っても見ない方向へ向かう王の言葉に、戸惑いがキラの胸に広がる。 「簡単に言えば、お前に興味が湧いたということだ。」 「・・・僕に、プラントへ・・・貴方に仕えろというんですか。」 「そうだ。」 虚無感に覆われようとしていたキラの胸に、再び熱が点る。屈辱と怒り、悲嘆と絶望が綯い交ぜになり、キラの胸を焼く。 睨み上げる王子の燃える紫の色に心地よさを感じながら王は返答を待つ。だがその時間は非常に短かった。 「断る!」 「良く考えてものを喋るんだな。俺は『取引』と言ったんだ。」 取引といったからにはプラント側――王から、天秤に乗せるものを差し出す用意があるということ。 しかしこれは当然、対等な立場による取引ではない。それゆえにキラは『取引』という言葉に飛びつく事はできず、それどころかキラの耳には不吉なものとして届いた。 「・・・取引の、対価は?」 「お前が己の全てをもってこの俺に仕えると誓約するならば、黄金の姫は追捕せず、オーブ国民は市民としての身分をくれてやろう。」 「・・・・・・。 「取引が不成立に終わるなら、姫はプラント軍全力を挙げて捜索、発見しだい処刑。オーブの民は・・・これだけ我が軍を損なってくれた罪を問い、国ごと焼き払う。・・・良い見せしめにもなろう。」 何の脅しも含まぬ静かな口調。 それだけに王の言葉は更なる威圧をもってキラを押し潰した。 「・・・選択肢などないじゃないか・・・!」 冷たい石畳についた拳が叫びに震えた。 「何を言う。立派に二つの選択肢を用意しただろう。王子一人の誇りを守って国ごと消えるか、民の為に・・・云わば生贄となるか。」 「・・・・っ」 「人一人の身と、国一つ全ての命。破格の待遇だと思うが?」 王家の人間としての誇り。生まれたときから肩へ架せられた責務。 自分の自尊心と天秤にかけるには、キラに託されたものはあまりにも重過ぎた。 手を付きガクリと項垂れたキラの後頭部へと、王は容赦なく返答を迫る。 「さあ、暁の王子。・・・いや、オーブ王キラ・ナラ・アスハ。返答を。」 「・・・・・・・・・・ッ・・・」 喉の奥が引きつった。 出来るものなら、このまま消えてしまいたかった。 しかし此処で自分が斃れることの意味を思えば、拒否することはどうしても出来るはずがなかった。 キラは瘧に罹ったかのように全身を震わせながらも、のそりと王の面前へと跪いた。 「キラ・ナラ・アスハは・・・プラント王国の忠実なる臣となり・・・プラント王へ・・忠誠を・・・誓うと・・・・・・・誓約致します・・・」 「受けよう。」 涙混じりに途切れ途切れ発せられた声へ返った、あまりにも短い言葉。しかしそれはキラがプラント王国につながれた事を意味した。 キラは自らの手、言葉でオーブの歴史に終止符を打ったのである。 キラだけでなく、プラントの兵にとっても予想外の展開に静まり返った祈りの間。 ただ一人満足のいく結果を得たアスランの声だけが朗々と響く。 「契約は交わされた。もしお前が自ら死ぬような事があれば、契約に背いた代償はオーブの民に払ってもらう。姉姫も今は追捕はしないが・・・、おそらく亡きオーブ王妃の生国アプリリウスへ逃げたのだろう。あの国が姫を受け入れるかどうかは知らないが、あの国も近いうちにわが国の一部となる。その時に姫も・・・・」 「わかっています!」 「ならば良い。」 王は満足げに頷いた。 そして今まで弄んでいたキラの剣を、片腕の動作のみで祈りの間の奥へと投げる。 驚くキラの前でアスランが投げたキラの剣は鋭く空を切り、ガキッ、と嫌な音を立ててハウメア神像の喉へと深く突き刺さった。 「ああっ・・・・!」 「神は人を守らない。お前が忘れれば、オーブがこのようになるだけだ。」 繊細にして優美は神像はその無体に耐え切れず、ピシ、と小さな悲鳴のような音を立ててひび割れ・・・オーブを優しいまなざしで見守ってきた神の首は、あっけなく胴から切り離された。 ゆっくりと落ちゆくハウメアは、キラの目の前で床に叩きつけられ砕ける。 それはまるで、今この瞬間に終止符を打った・・・オーブの運命そのもののように。 |